日記のしおり

羅針盤
01 /01 2017
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ヴェネツィアーノ最後の作品

サンタクローチェ地区
12 /05 2016
サンタ・クローチェ教会付属美術館は同教会の中庭から入ることができます。チケット代は教会の見学料に含まれています。
50年前のフィレンツェ大洪水で被害を受けたヴァザーリの「最後の晩餐」が修復を終えて戻ってきた機会に、久しぶりに足を踏み入れてみたら…作品の展示場所や照明の当て方を変えたらしく、ちょっと近代的になっていました。

こちらも展示場所が変わった一枚
ドメニコ・ヴェネツィアーノ作「洗礼者ヨハネと聖フランチェスコ」1454年 フレスコ画
veneziano
サンタ・クローチェ教会のカヴァルカンティ礼拝堂のフレスコ画で唯一生き残った部分です。壁から剥がしてパネル装にしてあります。また知られている中で、ヴェネツィアーノの最後の作品でもあります。
作品は1566年にヴァザーリによって教会の改築が行われる中、破壊された聖歌隊席から剥がされました。
1954年の展示会の機会に再び壁から剥がされ、美術館に展示されるようになったのです。

花輪が彫られたアーチの下に二人の聖人が描かれていて、背景には耕された畑が見えます。
洗礼者ヨハネは彼の目印であるラクダの毛皮を着て、胸ははだけています。伸びた髭と整えられていない頭髪が、彼の隠者生活を示しています。
フランチェスコは修道会の僧服を身につけ、手の聖なる傷からは赤い光が差しています。
改悛の印に胸に手を当て空を見上げるヨハネと、両手を合わせて敬虔な様子で頭を下げるフランチェスコの動作が対照的ですね。

ヴェネツィア生まれの画家ヴェネツィアーノはローマで活動した後、フィレンツェにたどり着きます。ピエロ・デッラ・フランチェスカの明瞭な色彩、アンドレア・デル・カスターニョやポッライオーロ兄弟の力強い描線に近い作風を持っていました。

「洗礼者ヨハネと聖フランチェスコ」は今回の改装で小さい部屋に移されたものの、部屋の中央に置かれたことと、柔らかい色調のスポットライトが当てられるようになったことから、以前より注意を引く展示になっていました。

参照 Annarita Paolieri, Paolo Uccello, Domenico Veneziano, Andrea del Castagno, Scala, Firenze 1991. ISBN 88-8117-017-5

かつてのサンタ・クローチェ教会

サンタクローチェ地区
12 /04 2016
フィレンツェのサンタ・クローチェ教会付属美術館に、昔の教会と修道院がどのような姿であったのか表している絵があります。
santa croce come una volta
無名のフィレンツェの画家が描いた「サンタ・クローチェ教会と修道院の見晴らし」1718年作です。

今も教会と付属美術館として残っているのは
教会本堂 (A)左下角 
聖具室  (H)
パッツィ家礼拝堂(G)
パッツィ家礼拝堂のキオストロ(F)
2番目のキオストロ(N)
修道院食堂(E)

そして(Q)が現在はレザースクール、皮革製品の工房となっている場所です。

この絵では菜園?となっている(Y)の位置には現在は国立中央図書館があります。

そして教会と図書館の向こう、絵では上の部分には現在は住宅や学校が並んでいるのですが、この絵を見ると修道院の菜園らしきものが広大な土地に広がっているのです。
その領地は右手(南側)のアルノ川沿いまで広がっているのがわかります。

現在の姿でもサンタ・クローチェ教会と付属施設はかなり大きな面積を有しているのですが、この絵から推測すると現在の3倍近くの面積があったのではないでしょうか?
この絵を見ると、フランチェスコ修道会の影響力の大きさを再発見したり、当時の修道院が「自給自足が出来る場所」「祈りと労働の生活をする場所」であったことが改めて感じられます。。

半世紀を経て蘇った最後の晩餐

サンタクローチェ地区
12 /03 2016
最後の晩餐の場面が描かれた作品を「cenacolo チェナーコロ」と呼んだりしますが、チェナーコロは正確には「晩餐の部屋」「キリストが最後の晩餐をした広間」「同好の仲間」という意味があります。
「最後の晩餐」はイタリア語では「l'ultima cena ルルティマ・チェーナ」ですね。

1966年11月4日に起きたフィレンツェ大洪水で被害を受けたサンタクローチェ教会のヴァザーリ作「最後の晩餐」が修復を終えて帰還するという日記を書きました。
サンタクローチェ教会を訪れる機会があったので美術館部分をちらっと覗いてみると…ありました!
cena di vasari4
フィレンツェの修復機関「貴石加工所」が新しい修復技術を駆使して蘇った「最後の晩餐」
以前にチェナーコロに置かれていた多くの芸術作品は、2013〜2014年に教会内部に移設され、この大きな作品の展示が可能となったのです。作品の裏側には再び大洪水が起きた時のために、絵画を部屋上部に釣り上げるシステムがあります。
cena di vasari3
もともとベネディクト会ムラーテ修道院のために描かれたこの作品は、ナポレオン時代に同修道院の廃止されたためにサン・マルコ修道院に移設、さらに1880年代にサンタ・クローチェ教会に移されました。
この時に修道院の一部はすでに美術館となっていました。
1959〜1962年の美術館拡大に伴い食堂に展示され、そして大洪水に遭ったのです。

上部のバルコニーから晩餐会を覗き込んでいる人がいる構図は、サン・サルヴィのアンドレア・デル・サルトの同主題の作品を彷彿とさせます。

このヨハネ、うとうとしているというよりは、完全に熟睡しているんですが…
cena di vasari2
ユダはすぐにわかります。裏切りの代償が入った袋を隠し持っています。テーブルのこちらに座っている配置も、この題材を描く時の伝統にそった位置ですね。
cena di vasari1
この作品の復帰に合わせたのか、サンタ・クローチェ教会付属美術館の展示の様子も変化がありました。
次回からその様子もちょっとご紹介します。

裏切られたマエスタ

サンタクローチェ地区
12 /02 2016
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラの前に現代彫刻が設置されました。
maestà di smn
ちょっと見ただけでは「?」な形です。マントを着た人のような?
題名は「Maestà tradita 裏切られたマエスタ」ガエターノ・ペーシェ作 2016年

「マエスタ」とは王座の聖母子を中心に天使、聖人を配した図のことです。
ウッフィツィ美術館に3枚のマエスタ(チマブーエ、ドゥッチョ、ジョット作)が並んでいる部屋がありますね。

ペーシェの作品では長い服を着た人物が聖母で、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中にあったドゥッチョの「ルチェライの聖母」(1285年作 ウッフィツィのマエスタ3枚のうちの一つ)からインスピレーションを受けて製作されました。

「ルチェライの聖母」
duccio
ペーシェのマエスタは女王のようであり、母のようでもあり、その足は台座の下にある球体に細い鎖で繋がれています。これは生まれながらにして奴隷の身分として扱われる世界中の女性のシンボルなのだそうです。

一部の評論家から「アルベルティ設計のノヴェッラ教会ファサードや、ノヴェッラ広場と全く関連のない形態。歴史的背景にも繋がらない。展示スペースの研究もお粗末」と厳しい批判が出ているようです…

2017年2月8日までノヴェチェント美術館にてペーシェ特別展も開催されています。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。