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羅針盤
01 /01 2019
当ブログでは、フィレンツェ在住の日本人ガイドがフィレンツェを中心としたイタリアの情報を書いています。
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natale2016-9

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羅針盤2

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バルトリーニ・サリンベーニ宮殿

フィレンツェ市
07 /23 2018
芸術家バッチョ・ダニョロに絡めて、彼の代表的な建築バルトリーニ・サリンベーニ宮殿について書きました。今日は続いてこの宮殿の詳細を書きます。
salimbeni
フィレンツェの後期ルネッサンスの最も重要な建築の1つです。

私邸のファサードとしてはとてもオリジナリティーがあったため、当時は強く批判されましたが、その後広く使われ発展していったスタイルです。

バルトロメーオ・バルトリーニが他家から土地を買い取り建設させました。バルトリーニはシエナの名家サリンベーニ家の子孫でもあります。

邸宅は1520〜23年の間にバッチョ・ダニョロによって建設されます。
バルトリーニ家は19世紀までこの家に住んでいましたが、その後、ホテルとして使用されアメリカの作家ハーマン・メルヴィル(「白鯨」の作家)などの著名人が泊まっています。現在は私邸。

革新的なファサード
◉横に円柱を置いた入り口
◉窓の上のアーチ型と三角形のティンパスム
◉十字型の窓のしきり
◉窓の横の付け柱
◉出っ張りと壁龕により動きのある表面
(壁龕の中には彫刻がありましたが、教会のスタイルにこそ適当という当時の批判で撤去されたそうです。)
◉最上階の壁龕が四角で浅い
◉両側端がブニャート仕上げ
◉各階にコーニス(軒蛇腹)

またファサードにはピエトラ・フォルテ(硬質砂岩)ピエトラ・セレーナ(灰色砂岩)ピエトラ・ビージャ(セレーナに似ています。ビージャは「くすんだ」という意味)の3種の石が使われているのもキアロスクーロを出しやすい要素。

あまりに強い批判を受けたバッチョは扉の上に
Carpere promptius quam imitari(批判するのは模倣するよりさらに簡単)と刻みました。

そして窓の上には
Per non dormire(眠らないために)と刻まれていますがこれはバルトリーニ家のモットー。
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晩餐会にライバルの商人たちを招いて麻薬で眠らせ、翌朝の競売にバルトリーニ家だけが出席できたという話から来ているとか、睡眠を惜しんで働いて成功したことを示すとか言われています。

2階のフリーズに3本のケシの花を使ったバルトリーニ・サリンベーニ家の家紋が見えます。このケシが麻薬を使ってライバルを陥れたエピソードを表します。
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先日、通りかかった時に中庭に入れるようになっていたので写真を撮りました。
(ガイド学校で勉強していた時にやはり開いていて、先生と一緒に見学した記憶があるので、どうやら一般公開しているようです)

中央にバッカスの像
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上部はグラッフィーティ装飾
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鉄柵がエレガントで涼しげ
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参照 Sandra Carlini, Lara Mercanti, Giovanni Straffi, I Palazzi parte prima. Arte e storia degli edifici civili di Firenze, Alinea, Firenze 2001

マニエリスム建築へ バッチョ・ダニョロ

芸術を読み解く
07 /22 2018
ルネッサンス時代の代表的な建築家といえばブルネレスキ、アルベルティ、ミケランジェロあたりの名前が上がりますが、フィレンツェではバッチョ・ダニョロ Baccio d'Agnoloの名前もよく出てきます。
本名はバルトローメオ、バッチョはバルトロメーオを短くした呼び名です。父親がアンジェロと言う名前だったので「アンジェロのとこの d'Angelo」が訛ってこの苗字になっています。フィレンツェで生まれてフィレンツェで亡くなった建築家で、ミケランジェロより13歳ほど年上。

芸術家としての経歴は木彫り師として始まります。
父親の工房で修行し、1490年ごろからサンタ・マリア・ノヴェッラ教会とヴェッキオ宮殿で主に仕事をしていました。

フィリッピーノ・リッピやペルジーノといった芸術家の祭壇画を置くための祭壇や、ヴェッキオ宮殿のドゥエジェント広間の木製の部分を制作しています。

彫刻家としての名声を得た後、どのあたりか明確ではありませんが、建築も手がけるようになっていきます。
ローマで建築を勉強し、イル・クロナカに雇われてヴェッキオ宮殿やそれ以外のシニョーリア広場の建築に携わりました。

1502〜1505年にはドゥオモのクーポラのドラム部分の建設を任されます。

名声を得た彼は下記の建築に携わります。
サン・ジュゼッペ教会
ボルゲリーニ宮殿
バルトリーニ宮殿
サント・スピリト教会の鐘楼
ドゥオモの床
ヴェッキオ宮殿のプリオーリ礼拝堂
サンティ・アポストリ教会
サン・ミニアート・アル・モンテ教会の鐘楼

そして何と言っても有名なのがバルトリーニ・サリンベーニ宮殿。高級店街のトルナブオーニ通りでアルノ川に近い場所、サンタ・トリニタ広場にあります。
salimbeni

そのファサードには円柱や、柱で区切られた窓があります。それまで教会のファサードにしか使われていなかった建築モチーフを初めて個人の邸宅に使った例だそうです。

このような革新的な建築は当時はフィレンツェ人に馬鹿にされたそうなのですが…次世代ではこの様式がよく使われるようになります。

バッチョ・ダニョロの工房でミケランジェロ、アンドレア・サンソヴィーノ、サンガッロ兄弟、ラファエッロなどが建築を研究したことを思えば、フィレンツェの建築の歴史で非常に重要なポイントを占めていることがわかります。
また彼の息子3人も建築家になっています。

ヴァザーリの芸術家列伝によれば、ダニョロの作品で失われたものも多いそうですから、当時はもっと彼の作品が街に溢れていたのでしょう。

ヴェッキオ橋の写生

写真館
07 /21 2018
2018年7月に撮影した写真をまとめてご紹介〜(^-^)/

ある日ヴァザーリの回廊の下を通ったところ、ヴェッキオ橋の写生大会をやっていました。
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描いている人の年齢がバラバラ、たぶん国籍もまちまち…どんなグループなのでしょう?
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ヴェッキオ橋の上から振り返ると、回廊のそれぞれのアーチの下に写生している人が入っているのです。
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ヴェッキオ橋の上からアルノ川に張り出しているバルコニーがお花と緑で縁取られていました。
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アルノ川南岸の、とあるバール。ゆったりとした雰囲気で歓談できる場所です。
町を散策して新しいバールを見つけるのが楽しいのです。
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サント・スピリト教会の裏側でいい具合に古びた扉を見つけました。自転車はモバイク。
フィレンツェの中心街に溢れかえっています。
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シニョーリア広場の近くのアクセサリー店のウィンドウにこんな商品が。
フィレンツェのドゥオモの屋根がついています。う〜ん、けっこう出っ張っているので、指につけたらどこかにぶつけてしまいそう…
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そしてシニョーリア広場のネプチューンの噴水の修復がようやく終わりました!足場の解体を行っている最中。
これで広場の景観に邪魔なものがようやく消えます!
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ブルネレスキからマニエリズムへ サント・スピリトの鐘楼

写真館
07 /20 2018
フィレンツェ、アルノ川の南岸に位置するサント・スピリト教会。
その鐘楼はフィレンツェの教会でも最も特徴のある鐘楼の1つです。
教会横の修道院には3つのキオストロ(中庭)がありますが、その中でも「死者のキオストロ」から鐘楼の姿がよく見えます。
santo spirito
バッチョ・ダーニョロによって1503年に設計され、ピエトラ・フォルテ(硬質砂岩)を使用して建設されました。
この芸術家の最も有名な建築物の1つです。

下部はブルネレスキ(サント・スピリト教会の設計者)風でシンプル。簡素な角柱によって支えられた各階にアーチが開いています。

最上階の鐘が設置されている部分はマニエリスム様式に移行しています。
アーチはserliana(セルリアーナ)と呼ばれる様式で、またの名をヴェネチアン・ウィンドウ。
正円アーチの左右に開口部があり、区切る柱の上にアーキトレーブがあります。
これは古代ローマやビザンチンの建築に見られる要素でした。
ルネサンスの時代、特にマニエリスムの建築に多用されてます。
また渦巻き状の装飾や、コーニス(水平な形作られた突起部)が何重にもなっている形もマニエリスムの特徴があります。

この「死者の中庭」は以前は入ることができなかったのですが、教会の一部が有料になってから見学可能になりました。
ミケランジェロの木彫り磔刑像の入場料で、こちらの空間も入れますよ(^-^)/

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。