ウッフィツィ美術館のサイズ

シニョーリア広場地区
05 /25 2018
「マントヴァのアンティーキ・ガッレリーアは長さ96mもあり、イタリアではウッフィツィ美術館の次に長いものになっています」という記述を見て、じゃあウッフィツィはどのぐらい長いんだろう?と疑問を持ったところ、Twitterのフォロワーさんから情報源をいただきました→valorizzazione
(ただしこの資料はちょっと古いので何番の部屋に誰の作品があるとか、現状とは違っている部分が多々あります)

以前から何メートルあるんだろう?とは思っていたんですよね…
ちなみにそれ以外の長さも書いてあったので興味があった部分だけ書き出してみました。

◉地下トイレはどのぐらい遠い? 
荷物検査を終えて建物に入った後、絵画鑑賞に入る前にトイレを使用したいですよね。
トイレは階段で降りた地下遺跡の中。
地上階に帰ってきたお客様から「トイレが遠かった…」と聞くことが多いのですが

階段降りてからトイレ入り口まで約60m
往復で120mです。トイレのためだけに歩くには遠いですよね…

◉廊下の長さはどのくらい?
uffizi
さてウッフィツィ美術館は最上階(3階、イタリアの表示では2階となります)から見学が始まります。
そして建物はコの字型(資料ではU字型と書かれています)
第1の廊下は東側→130mの長さ
第2の廊下は南側→アルノ川沿いで一番短い部分
第3の廊下は西側→第1の廊下より少し短い

とのことですので280mぐらいかな?

ちなみに2階(イタリアでは1階)は213mと書かれていますね。これは最後の部分がデポジット、絵画作品の倉庫になっているので歩く距離が最上階より短いからでしょう。

最上階プラス2階で美術館の中を最も短い距離で500mぐらい歩くわけです。
もちろん廊下沿いの部屋に入って鑑賞するので、もっと距離は長くなりますね。
絵画鑑賞しながら意識しない間にけっこう歩いています。

◉ヴァザーリの回廊は約1km
corridoio vasariano
さてウッフィツィ美術館の最上階からヴァザーリの回廊に入ってピッティ宮殿まで行けばさらに距離は伸びます。

廊下に入るとまず階段を降りるのですがこれは58段

回廊の中には3箇所の傾斜床があります。ウッフィツィ→ヴェッキオ橋→ピッティと普通は歩きますがこのルートだと降ることになるのでけっこう楽ですね。

傾斜床のいちばん長い部分が83m
傾斜角度は3,4%〜6%

そしてヴァザーリの回廊は幅は、一番狭い部分の幅が86cm
これは多分ヴェッキオ橋を渡ったマンネッリの塔のあたりだと思います。そこには絵画作品は飾られていないのですが、それ以外でも狭い部分があるので自分の背中側の絵画に気をつけて鑑賞します。
現在の館長は絵画作品をヴァザーリの回廊から取り去って、もっと簡単に入館できるようにしたいとの意向です。
絵画作品にとってもその方が安全でしょうね。
スポンサーサイト

レプブリカ広場の発掘

フィレンツェ市
04 /30 2018
フィレンツェの中心街には大きな広場がいくつかありますが、古代から町の中心だったのがレプブリカ広場です。
piazza della repubblica2
現在はカフェが並び、大道芸人が楽器を弾き鳴らし、子供達がメリーゴーランドに乗って遊んでいる賑やかな広場。

2018年4月から、この広場で石畳の補修作業が始まりました。そこでこの機会に石畳の下から現れた遺跡の見学ツアーも行われています。
piazza della repubblica1

ローマ帝国時代
ここにはFlorentia(フィレンツェの古名フローレンティア)のフォロ(公共の広場)がありました。そしてカピトリヌスの三神(ユーピテル・ユーノー・ミネルウァ)に捧げた神殿があり、カルド(南北に走る主要道路)とデクマヌス(東西に走る主要道路)の交差点でもありました。

中世
メルカート・ヴェッキオ(古い市場)が立ち、周辺はフィレンツェの重要なファミリーの塔型住居によって囲まれていました。

16世紀
メディチ家のコジモ1世の命令によりゲットー(ユダヤ人居住区)になります。フィレンツェ内の全ユダヤ人はここに住むことが強制されました。非常に人口が密集し、2つのシナゴーグもあったそうです。

19世紀後半
フィレンツェがイタリア王国の首都となり、町の改築が行われ、ゲットーもが取り壊されます。
メルカート・ヴェッキオよりさらに北部分も破壊され、中世の塔、教会、アルテ(同業者組合)本部など、中世の町の様子も失われました。

発掘の写真はこちらからも→La Firenze antica riaffiora sotto Piazza della Repubblica

フィレンツェの大聖堂の遍歴

フィレンツェ市
04 /27 2018
フィレンツェのカテドラル(大聖堂)は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂(花のマリア大聖堂)ですが、その着工は1296年。それより以前はどこにフィレンツェの大聖堂があったのでしょうか?
その遍歴をまとめてみました。
duomofebbraio

393年 サン・ロレンツォ聖堂がフィレンツェのカテドラルとして聖別されます。聖別式にはミラノ司教の聖アンブロージョとフィレンツェ司教の聖ザノービが参列しました。
san lorenzo5

6世紀 サンタ・レパラータ教会が建設されます。

9世紀 聖ザノービの遺体がサン・ロレンツォ聖堂からサンタ・レパラータ教会に移されます。この時から「カテドラル」の地位はサンタ・レパラータが持つことになります。

1059年 サン・ジョヴァンニ洗礼堂の聖別式が行われます(はっきりとわかっていませんが4〜5世紀にはキリスト教建築があったと考えられています。ただし最初の記録は897年)
BATTISTERO

1059〜1128年 サンタ・レパラータは何回か改築が行われていますが、この改築期間は「カテドラル」として機能することができず、サン・ジョヴァンニ洗礼堂が代わりに大聖堂の機能を担います。

1296年 サンタ・レパラータ教会は、さらに大きなサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会へ建て替えることになり、この年に着工されます。

1436年 ブルネレスキのクーポラが完成し、3月25日にサンタ・マリア・デル・フィオーレ教会の聖別式が行われました。

こうしてフィレンツェの「カテドラル」はサン・ロレンツォ→サンタ・レパラータ→(一時期サン・ジョヴァンニ洗礼堂)→サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会と移り変わってきたことがわかります。

カラヴァッジョのバッカス

シニョーリア広場地区
03 /08 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
97室「カラヴァッジョ バッコ」にある作品を紹介します。

「バッカス」はカラヴァッジョことミケランジェロ・メリージが1596〜1597年に描いた作品です。
IMG_3583_convert_20180309002148.jpg
メディチ家のローマ大使であったデルモンテ枢機卿から注文されました。メディチ家のコジモ2世の結婚の折に、その父のフェルディナンド1世へ贈られたと考えられています。

作品は当初はブオンタレンティによって設計されたアルティミーノ別荘におかれ、その後ウッフィツィに運ばれます。一時期はその存在が忘れられ倉庫に入っていたようで、1913年に再発見されました。

酒と酩酊の神であるバッカスの伝統的な図像は、裸で頭にはブドウと蔓の冠を載せているものです。
ドメニコ・ヴェネツィアーノの2枚の板絵では異教の神への贈り物である果物籠を持っており、このイメージが北イタリアから中部イタリアの芸術家の間で普及してレプリカが制作されていました。

1593年にカラヴァッジョが描いた「Bacchino malato 病いのバッカス」の痩せた顔色の悪いバッカスに比べると、こちらは顔も丸く顔色も良く、健康と豊かさを象徴しています。
バッカスが左手にワイングラスを持っていることから、カラヴァッジョが鏡に写した自分自身をモデルに描いたのではないかとも推測されています。またワインの水面に水紋があるのは、酔いのために手が震えているのかもしれませんね。

ハドリアヌス帝の愛人アンティノーを彷彿とさせるものがあり、カラヴァッジョの同性愛的側面を表現しているとも、永遠の若さの表現とも、またイエスの血のシンボルである赤ワインから「犠牲と救済」を表しているなど、様々な解釈がこの作品に対してなされています。

またバッカスは右手に黒いリボンを持っていて、その高さが臍のあたりであることから新プラトン主義フィチーノの「Homo copula mundi」を示唆していると考えられます。
copulaとはmedio(中間の)という意味です。「Homo copula mundi」とは「世界の真ん中の人間」
世界を5つの階層に分け、その真ん中に人間の「魂」が位置するという思想です。最上階には「神」最下層には「肉体」となります。神と地が出会う場所、そこが人間の魂なのです。

参照→Ficino

修復の際にワインのカラフの中に男の顔が描かれているのが見つかり、これもカラヴァの自画像と考えられています。

参照 Mina Gregori, Caravaggio (2010年ローマのカラヴァッジョ展のカタログ) Milano, Skira, 2010, pp. 76-81, ISBN 978-88-572-0601-1

レオナルドのメデューサは何処に

シニョーリア広場地区
03 /04 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
96室「カラヴァッジョ メデューサ」にある作品を紹介します。

「メデューサの首」オットー・マルセウス 17世紀
medusa
この作品はそのできの良さから、ヴァザーリが芸術家列伝に綴ったレオナルド・ダ・ヴィンチ作品だと考えられていました。

ヴァザーリの物語によると、レオナルドは父親に何も言わずに「メデューサの首」を描き、葉などで周りを覆って実物の首に見せかけたとか。父親はきっと心臓が止まったことでしょう…ところがこの事件がきっかけで父親は息子の才能に気づき、ヴェロッキオの工房に弟子入りさせたそうです。

写真の作品は1668年にメディチ家コレクションに入り、18世紀には「ヴァザーリが語ったレオナルド作のメデューサで、コジモ1世のコレクションであった」と認められました。
イタリアを訪れたスタンダールもこの作品をレオナルドの手によるものと信じて鑑賞したのです。

ところが20世紀に入ってレオナルドのオリジナルなのかコピーなのか確かめようとした時に、メディチ家コレクションにこの作品が入った時の文書が見つかり、フランドル地方の画家の作品であると判明したのです。
したがってコジモ1世が所有していたはずのレオナルドの「メデューサの首」は16世紀末の消息以来、行方不明だということになります。

オットーの作品ではメデューサの周りにカエルやホタル、ネズミ、コウモリなどが非常に正確に描写されています。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。