レオポルド枢機卿のコレクション〜2〜

アルノ河南地区
11 /24 2017
フィレンツェのピッティ宮殿にて行われている特別展「レオポルド・デ・メディチ 収集家の王子」の展示作品をちらっと紹介します。
展示会期間は2017年11月7日〜2018年1月28日
ピッティ宮殿地上階の「大公の宝物殿 Tesoro dei Granduchi」の区画にて公開されています。
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レオポルド枢機卿は様々な方面に興味を持ち、幅広い分野のコレクションを行なっていました。
その中に紙や羊皮紙の上に描かれたデッサンのコレクションがあります。

彼がまだ若い頃にデッサン画を試みたことがあり、その頃から有名な画家のデッサンをコレクションしたのだとか。
以前にメディチ家が収集したデッサンも、彼はもちろん知っていました。中にはヴァザーリの遺産から来た作品もあります。
1650年にはレオポルドのコレクションは体系的になっていました。当時の美術品の重要な売買ポイントはローマ、ボローニャ、ヴェネツィア、さらにもっと小さな取引場であったジェノヴァやクレモナなどでメディチ家の代理人が美術品の買取をしてます。

「マリアの訪問」フランチェスコ・サルヴィアーティ作 16世紀
ローマのサン・ジョヴァンニ・デッコラート祈祷所のために1538年にサルヴィアーティが描いたフレスコ画のデッサン。
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「聖母被昇天」ルーベンスと協力者 1637年ごろ
1659年にメディチ家の代理人によってアントワープからフィレンツェに送られた作品。Jan Philip Happartが所有していたルーベンス関連の作品を全て買い取りました。
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「裸の男性像」ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 1647年ごろ
ローマのメディチ家代理人パオロ・フォルコニエーリがレオポルド枢機卿にベルニーニのデッサンを購入できる可能性を伝えています。ナヴォーナ広場の4つの河の噴水、ナイル川の像の準備デッサンと考えられています。
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「聖ヒエロニムスの頭部」アンドレア・デル・ヴェロッキオ作 1465年ごろ
1663年のレオポルドのコレクション目録に記録されています。当初はポッライオーロの作品と考えられていました。
他の枢機卿の所有でしたが、その枢機卿の死後にレオポルドの兄弟によって買い取られます。
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こうやってみるとルネッサンスからバロックまでの巨匠の作品が収集されていますね。
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スペイン王の孫たち〜2〜

アルノ河南地区
11 /23 2017
ピッティ宮殿のパラティーナ美術館にて行われている肖像画の展示会「スペイン王の孫たち I nipoti del re di Spagna」をご紹する第2弾です。
開催期間 2017年9月18日〜2018年1月7日
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スペイン王カルロス3世の孫たち、つまりトスカーナ大公ピエトロ・レオポルド(のちに神聖ローマ皇帝レオポルド2世)とカルロスの娘マリア・ルドヴィカの間に生まれた子供は16人もいます!

「トスカーナ大公ピエトロ・レオポルドと家族」
 Wilhelm Berczy作 1781年

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この絵が描かれた時点で二人の間には10人の子供がいました。日常的な雰囲気が溢れる作品で、小さな子供達は遊んでいます。大きな子供達は地球儀を指差したり、楽器を奏でたり、教育を受けている場面です。

「マリア・テレーザの肖像」
 アントン・ラファエル・メングス作 1770年

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カルロス3世の依頼により、画家がフィレンツェで描いた作品の1枚です。
ピエトロ・レオポルドの長女で、祖母(女帝マリア・テレーザ)と同じ名前を持っています。
3歳ぐらいの肖像で、ベラスケスの絵にも見られるようなスペインで流行した横に広がるスカートを着ています。

「フランチェスコの肖像」
 アントン・ラファエル・メングス作 1770年

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ピエトロ・レオポルドの長男で、2歳半ぐらい。
まだ足元もおぼつかない歳ですが、豪華な椅子に寄りかかり指差す仕草は、さながら小さな君主のポーズです。

「ハプスブルク・ロレーナのフランチェスコの肖像」
 Johan Zoffazy作 1775年

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ちょっと成長したフランチェスコくん、7歳です。まだまだ幼いのに、神聖ローマ帝国の後継者としての姿で描かれています。

「フェルディナンドとマリア・アンナの肖像」
アントン・ラファエル・メングス作 1770年

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バロック時代の典型的な公式肖像画で、豪華な衣装と家具に囲まれた君主の子供達の様子です。
フェルディナンドはピエトロ・レオポルドの跡を継いでトスカーナ大公フェルディナンド3世になります。

「コンピアント」
アントン・ラファエル・メングス作 1779年

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メングスの唯一の自筆サインが入っている作品です。13世紀まで遡ることができるフィレンツェのリヌッチーニ家の注文でラファエロ作「聖家族」と対になるように描かれました。修復によって色彩の美しさが際立つ作品となりました。現在は個人の所有となっています。

この特別展はパラティーナ美術館の最後の方、壁龕の部屋で開催されています。子供達の肖像画の多くは普段はプラド美術館に展示されています。

スペイン王の孫たち〜1〜

アルノ河南地区
11 /22 2017
ピッティ宮殿のパラティーナ美術館にて行われている肖像画の展示会「スペイン王の孫たち I nipoti del re di Spagna」をご紹介します。
開催期間 2017年9月18日〜2018年1月7日
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この展示会は、ウッフィツィ美術館が新しく購入したAnton Raphael Mengsの絵画作品を紹介するために催されています。
ポスターはトスカーナ大公ピエトロ・レオポルドの二人の子供フェデリコとアンナ・マリアを描いた作品です。1720年代に画家がフィレンツェに滞在していた時期に制作されましたが完成には至らず、画家の娘の手に渡りました。近年になってその子孫が所有していることがわかったものです。

アントン・ラファエル・メングスは、18世紀のドイツの画家で、ローマ、マドリード、ザクセンなどで活動し、スペイン王カルロス3世の宮廷画家として有名です。新古典主義における先駆者でした。

「スペイン王カルロス3世の肖像画」
 メングス作 1767年
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カルロス3世は、ナポリ・シチリア王で、のちブルボン朝のスペイン王となった啓蒙専制君主です。
スペインのフェリペ5世とパルマ公女エリザベッタ・ファルネーゼの間に生まれ、16歳でパルマ公になりました。
南イタリアは13世紀からスペイン領となっていましたが、スペイン継承戦争にてオーストリアに奪われました。ポーランド継承戦争ではカルロス3世がシチリアとナポリを取り戻します。
ナポリとシチリアは別々の王国でしたが、実質的にはこの時に両シチリア王国が成立しました。
異母兄の死去によりカルロスがスペイン王に即位。フランスと同盟を組んでイギリスに対抗します。

「ローマ皇帝フランツ1世と皇后マリア・テレジアと子供達」
 Martin van Meytens作 1756年
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こちらはハプスブルク家のメンバーがシェーンブルン宮殿に勢揃いの図。衣装博物館の所有の作品。
シェーンブルン宮殿にある同様の作品には11人の子供しか描かれていませんが、こちらのヴァージョンにはさらに新しく生まれた2人も揃っています。最終的に二人は16人の子供を授かっています。
このうち三男のピエトロ・レオポルドが父親の死後にトスカーナ大公の地位を受け継ぎます。
レオポルドはスペイン王カルロス3世の王女マリア・ルドヴィカ(ルドヴィカはイタリア語ではルイーザ)と結婚し、両親と同じく16人の子をもうけました。

「ハプスブルク、ロレーヌ家のピエトロ・レオポルドの肖像」
 メングス作 1770年
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ピエトロ・レオポルドはトスカーナにおいて啓蒙的改革を行います。チェーザレ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』の死刑廃止論に影響を受けて死刑の執行を停止しました。1786年にはヨーロッパの国として初めて、死刑そのものを完全に廃止。
トスカーナの軍縮を図り、余剰金を税率低減の財源とします。革新的すぎて施行できませんでしたが憲法の起草も命じています。
トスカーナ大公在位は25年に及びますが、兄ヨーゼフ2世が死去したため、レオポルドが神聖ローマ帝位を継ぎました。トスカーナ大公位は自分の次男のフェルディナンド3世に継がせます。

「ブルボン家のマリア・ルドヴィカの肖像」
 ロレンツォ・ティエポロ作 1763年
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1764年にピエトロ・レオポルドと結婚。
作品はパルマ公のコレクションから。ヴェネツィアの画家は、若さに満ちた王女を当時、貴族の間で流行していたオウムと一緒に描いています。

次回は二人の子供たちの肖像画を見て行きましょう。

レオポルド枢機卿のコレクション〜1〜

アルノ河南地区
11 /16 2017
フィレンツェのピッティ宮殿にて行われている特別展「レオポルド・デ・メディチ 収集家の王子」をご紹介します。
展示会期間は2017年11月7日〜2018年1月28日
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ピッティ宮殿地上階の「大公の宝物殿 Tesoro dei Granduchi」の区画にて公開されています。

レオポルド枢機卿の生誕400周年を記念した展示会です。
メディチ家のトスカーナ大公コジモ2世とマリア・マッダレーナ・ダウストリアの息子で、ヴァザーリの回廊に展示されている芸術家の自画像コレクションの収集を推進した人物です。美術の分野に限らず科学など様々な分野の収集を行いました。50の歳で枢機卿になったレオポルドは、当時のヨーロッパの収集家の中でも抜きん出た存在です。

展示品は古代彫刻、レオポルドと同時代の彫刻、メダル、通貨、カメオ、絵画、デッサン画、版画、象牙作品、貴石を使った高価な作品、肖像画、本、科学装置、自然の珍品など。

1675年に、枢機卿が亡くなった時、コレクションの多くは甥のトスカーナ大公コジモ3世の手に渡りました。こうしてウッフィツィ美術館などを飾ることになったのです。

サント・スピリト教会の年表

アルノ河南地区
09 /10 2017
フィレンツェ、アルノ河の南岸にあるサント・スピリト教会の年表をまとめました。

1250年 アルチェートリの貴族がアゴスティーノ修道僧に教会用の土地を与える。

1269年 アゴスティーノ修道会がフィレンツェに定着。祈祷所があった場所に「サント・スピリト(精霊)」に捧げた教会を建築。

13世紀 フィレンツェは外部からの人口の流入に伴い町を拡大。サンタ・トリニタ橋や、アルノルフォ・デル・カンビオによってより多くの土地を囲う新しい市壁が建設された。サント・スピリト教会は新しい市壁の中の土地に含まれる。

1284年 フィレンツェのアゴスティーノ修道会は「Studio generale dell'Ordine」と呼ばれ、神学や哲学を研究する施設となる。

1292年 アゴスティーノ修道僧の説教を聴きにくる大衆のために教会前に広場が設けられる。

1350年 修道院所属の図書館は豊かな蔵書コレクションを持ち、文学者や芸術家が集う施設となる。

14世紀にペトラルカが修道院に住み、アゴスティーノ著「告白」から影響を受けて「我が秘密」を執筆し、ボッカッチョも通った。修道僧の僧房は人文主義者の集会所となり、15世紀にはレオナルド・ブルーニやニッコロ・ニッコリなども顔を揃えた。

1397年 フィレンツェ政府は新しいサント・スピリト教会の建設に資金を出すことを決定。

1444年 ブルネレスキの設計により着工、偉大な建築家の最後の大きな仕事だった。
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1446年 ブルネレスキ死去。

1452年 建設主任はアントニオ・マネッティ、ジョヴァンニ・ダ・ガイオーレ、サルヴィ・ダンドレーアの3人に。

1471年 火事により、教会内の中世の作品大部分が被害を受ける。

1481年 教会が聖別される。

1489年 ジュリアーノ・ダ・サンガッロにより聖具室が建設される。
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1492年〜 ミケランジェロが修道院にて遺体解剖研究、感謝の印に磔刑像を彫る。
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1493年 フィリッピーノ・リッピ作「ネルリ祭壇画」
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17〜18世紀 多くの改築が施される。

1599〜1608年 ジョヴァンニ・カッチーニとゲラルド・シルヴァーニによるバロック式の天蓋付き祭壇
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19世紀 ファサードが漆喰によって覆われる。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。