14世紀フィレンツェの織物と豊かさ

サンマルコ地区
01 /16 2018
フィレンツェのアカデミア美術館で2017年12月5日〜2018年3月18日に開催されている特別展「Tessuto e ricchezza a Firenze nel Trecento. Lana, seta, pittura 13世紀のフィレンツェの織物と豊かさ、毛織物、絹織物、絵画」を紹介します。
当時のフィレンツェの主産業であった織物と経済や芸術活動の繋がりをみる展示会です。

14世紀、豊かな市民階級の発生に合わせて新しい贅沢「モード」が発展し、フィレンツェではまず毛織物産業、つづいて絹織物産業のクオリティが上がっていきます。
素材や染料の高価さにもかかわらず、また戦争や疫病が繰り返し起こる時代でもあったのに、フィレンツェの織物はヨーロッパ中から求められるレベルまで発展していきます。いえ、ヨーロッパだけではなく、中東からアジアまでその需要は広がっていきました。スペイン宮廷、神聖ローマ帝国宮廷、シチリア島からバルト海までも。

この織物産業の成功がフィレンツェに多大な富をもたらし、豊かさがルネッサンス時代のフィレンツェの文化興隆、美術品制作、大型建築の着工のベースとなったのです。

フィレンツェの「アルテ」と呼ばれるギルドの中でも「7大アルテ」に入っていたのが
Arte della Lana 毛織物業組合
Arte della Seta 絹織物業組合(またの名前をArte di Por Santa Maria)
Arte di Calimala 織物商人組合(原材料をフィレンツェに仕入れ、加工されたものを外国にも販売)

そしてそれぞれ次の建築物の管理を担当しました。
Arte della Lana → ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ教会)
Arte della Seta → 捨て子養育院
Arte di Calimala → サン・ジョヴァンニ洗礼堂

当時の職人、特に画家は織物やモードから多くのインスピレーションを得ました。
板絵にもフレスコ画にも、豪華な織物の文様などが描かれていて、この特別展に展示されている布地と照合することができます。

織物文様には外国由来の流行もあります。
イスラム文化「幾何学文様」
モンゴル文化「植物や動物文様」
中国文化「朱雀(羽が生えた動物、フェニックスと同一視されることも)」


特別展にはコペンハーゲン国立ミュージアムからの「14世紀の女児の洋服」プラート布地博物館の「葡萄とフェニックス」の布地断片なども展示されています。
また布地の小さな見本を商談の手紙に縫い付けたものなども展示されていました。

アカデミア美術館でミケランジェロのダヴィデをみるついでに、こちらの特別展にもどうぞ足を運んでみてくださいね!

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19世紀前半の髪型カタログ

サンマルコ地区
10 /30 2017
フィレンツェのアカデミア美術館には大きなジプソテーカ(石膏室)があります。
ここには19世紀のバルトリーニやパンパローニといった19世紀の芸術家が作った石膏像が置かれています。
その壁には女性の胸像がずらりと天井に届く高さまで展示されているのですが、これらの胸像から当時の流行りの髪型を伺うことができます。

髪型はいつの時代もモードに深く結びつき、時代の考え方に適応していくものです。
19世紀前半のフランスのスタイルが当時の流行を決定するもので、髪型は服のボリュームに合わせてしぼんだり膨らんだり変化していきました。
例えば新古典主義や帝政時代には服装は縦のラインでシンプルなものが流行り、髪型もボリュームを抑えます。
ロマン主義時代には袖やスカートが膨らむスタイルになり、髪型も膨らみます。
それから1840年代には髪型はうなじの部分に丸くまとめるようになっていきます。

1796〜1805年ごろ
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フランス革命時代、勇猛な女性は古代ローマのモデルから髪を短く切りました。
Titusと呼ばれた髪型で、新しい女性の姿の象徴でした。それまで体を締め付けていた服装は一変し、胸も自由に腕や足の素肌が目立つスタイルでした。
それ以外の女性は前髪だけを残してうなじを見せる髪型が流行りました。

1805〜1812年ごろ
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ナポレオン帝政時代、前髪は左右対称にして後ろの部分は三つ編みに結って丸形に上部にまとめる髪型が流行になります。その中に高価なクシをさして髪を飾りました。
服装は胸部の下で絞り、胸を強調するスタイルになります。硬いラインの服へと移り変わっていきます。

1812〜1828年ごろ
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額にかかる巻き髪はボリュームを増します(夜間に巻いたまま寝てボリュームを出しました)後ろにまとめた髪は上の方に移動します。
1820年ごろから胸の下で絞っていた洋服のポイントはウエストの正しい部分まで下がっていきます。袖やスカートは柔らかく広がるラインが好まれました。

1828〜1835年ごろ
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後ろ髪はつむじのあたりにまとめます。カゴ型に編まれた髪には花や羽をさして飾り付けました。支える構造によって袖もスカートも横に広がります。

1835〜1845年ごろ
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額に垂らしていた前髪を伸ばして顔の横でまとめるようになり、肩に触れるぐらいの長さにたどり着きます。後ろ髪も編んだりまとめたりして、うなじにかかるようにしました。
服は不自然な形にまで膨らみ、鳥かごのように組まれた骨組みがスカートを支えました。

こうして見ていくと19世紀において、10年あるいはそれ以下のスパンで髪型も服装も変化しているのですね。
社会の変革と服装の変化のつながりを見ていくと面白いでしょうね。

アカデミアの石膏 マッダレーナと髑髏

サンマルコ地区
10 /16 2017
フィレンツェのアカデミア美術館には大きなジプソテーカ(石膏室)があります。
ここには19世紀のバルトリーニやパンパローニといった19世紀の芸術家が作った石膏像が置かれています。

この部屋に置かれている作品を紹介するシリーズ。

「改悛のマッダレーナ(マグダラのマリア)」ルイージ・パンパローニ作 1847年
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様々な感情(改悛、愛、信仰)を自然に表現する能力がロマン派から賞賛された作品です。
新古典主義の彫刻家カノーヴァ作「改悛のマッダレーナ」の発案に影響を受けて制作されました。しかしパンパローニはカノーヴァの作品よりも感情表現に重きを置いています。

香油壺はマッダレーナのおきまりの持ち物としてよく絵画にも一緒に描かれています。
一方「髑髏」は彼女にとってどのような意味があるのでしょうか?

マグダラのマリアは二つの姿で表現されます。
(改宗するまでのマッダレーナ) 
豪華な服装に宝石をつけ、手袋をはめた「俗愛」型の女性。

マントと宝石をかなぐり捨てる場面。足元に宝石の小箱が転がっている。

(悔悟者、改悛者としてのマッダレーナ)
質素なマントを着ているか、あるいはほとんど裸で長い髪の毛で体を覆っている。「十字架」と「頭蓋骨」を持っている。

頭蓋骨を「死」の象徴とする見方は中世に始まりました。

また「死の瞑想」は精神修養としてイエズス会が奨励していました。「現世の享楽におぼれることなく、死が確実に訪れることを念頭に置いて神の道を実践せよ」というわけです。
現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであるとする「メメント・モリ(死を想え)」のシンボルが頭蓋骨。

こうやってみると、贅沢な生活を悔いて改宗したマグダラのマリアにはぴったりのシンボルが髑髏なんですね。

アカデミアの石膏 愛と悪徳と賢明

サンマルコ地区
10 /15 2017
フィレンツェのアカデミア美術館には大きなジプソテーカ(石膏室)があります。
ここには19世紀のバルトリーニパンパローニといった19世紀の芸術家が作った石膏像が置かれています。

この部屋に置かれている作品を紹介するシリーズ。

「愛と悪徳と賢明」ロレンツォ・バルトリーニ作 1845年
メトロポリタン・ミュージアムにある大理石作品の石膏モデルです。
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アナトーリオ・デミドフ皇子によって注文された作品で、様々なタイトルが付けられてきました。
フランスの詩人・批評家ニコラ・ボアロー=デプレオー(Nicolas Boileau-Despréaux)によって書かれた風刺詩からインスピレーションを得ています。

この作品が何を表現しているか、いくつかの説がありますが…
ベースの円は「世界」を表し、その上で美徳は悪徳に押しつぶされて眠っています。
悪徳はぶどうの蔦が足元に絡まり、手からは盃が落ちている様子で、まるで子供のバッカスのようです。
天を指している子供が世界を制する「愛」の象徴であるというのが、一般的な読み方です。

「レオン・バッティスタ・アルベルティのモニュメント」
ロレンツォ・バルトリーニ作 1838〜1848年ごろ
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フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にある大理石作品の石膏モデルです。
イタリア統一運動の一環で、イタリア国民の偉大なる先祖の名誉を讃えるために制作されました。
大理石作品はバルトリーニが亡くなった後の1851年に公開されています。
アルベルティを挟む二人の天使のうち、燃える松明を持つ天使は永遠の魂のシンボル、月桂冠を持つもう一人は知恵のシンボルです。ネオクラシックに由来する荘重なトーンと、キリスト教の美徳の偶像を融合した彫刻作品です。

アカデミアの石膏 砂漠の乙女とサソリ

サンマルコ地区
10 /09 2017
フィレンツェのアカデミア美術館には大きなジプソテーカ(石膏室)があります。
ここには19世紀のバルトリーニパンパローニといった19世紀の芸術家が作った石膏像が置かれています。

ジプソテーカと二人の芸術家についてはこちらを→アカデミアのジプソテーカ

この部屋に置かれている作品をちょっとご紹介します。
「砂漠のニンファ」(ニンファとは妖精、美しい娘のこと)
バルトリーニ作 1840年
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カスティリオンチェッロ(ピサ南の港町)のカステッロ・パトローネにある大理石作品の石膏モデルです。
ミラノのポンツォーニ伯爵によって依頼されました。
この世ではない砂漠にて、蛇に象徴される悪徳がニンファの魂を襲っています。魂の純潔を救うため、神の加護を求める乙女。
バルトリーニは大理石作品を完成する前に亡くなったので、作品はデュプレの手によりいくらか変更されて完成に至りました。

「サソリのニンファ」バルトリーニ作 1837年
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Charles de Beauvau皇子のコレクションにある大理石作品の石膏モデル。
1845年のサロン・ド・パリに展示された作品です。この作品の他のヴァージョンはロシア皇帝のために制作され、エルミタージュ美術館に展示されています。
「サソリ」は図像学では、「嫉妬」や「憎悪」のシンボルです。

両作品とも、若い女性を魂の純潔のシンボルとし、悪徳に晒される危険性を象徴しています。悪徳の前に、柔らかな魂はとても無防備に見えます。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。