宗教裁判にかけられたパンチャティキ

シニョーリア広場地区
01 /15 2018
2017年10月30日〜2018年1月までウッフィツィの2階で行われている特別展「i volti della Riforma 宗教改革の顔」についてこの日記でご紹介しました。

この特別展にバルトロメーオ・パンチャテキの肖像画があります。
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普段はウッフィツィ美術館の2階、ブロンズィーノの部屋にあるのですが、宗教改革の展示会になぜ彼の顔があるのでしょう?

パンチャティキはリヨンで活動していたフィレンツェ人の商人です。またパリではメディチ家の代理人でした。
マニエリスムの代表的な画家であるブロンズィーノのパトロンでもあります。
マニエリスムは16〜17世紀というルネッサンスからバロックの過渡期にフィレンツェを中心として起こった美術運動で、力強く優美、過度に技巧的な様式が特徴です。

バルトロメーオ・パンチャティキはカルヴァン主義に興味を持ったため宗教裁判にかけられましたが、コジモ1世のとりなしによって無罪となりました。

1540年代、メディチ家コジモ1世はファルネーゼ家出身の法王パオロ3世と敵対関係にありました。この時期にフィレンツェでは宗教改革関連の発禁本などが持ち込まれ、アカデミーでも改革の影響を少なからず受けたようです。コジモ1世は宗教裁判にかけられたフィレンツェ市民を擁護しました。
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ウッフィツィ特別展2017 宗教改革の顔

シニョーリア広場地区
12 /23 2017
2017年10月30日〜2018年1月7日までウッフィツィの2階で行われている特別展「i volti della Riforma 宗教改革の顔」を紹介します。
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宗教改革の主要人物であるマルティン・ルターや彼の妻カテリーナの肖像画が展示されています。カテリーナはシトー会の修道女でしたが26歳の時に修道院を脱出し、41歳のルターと結婚して牧師夫人になります。プロテスタントは聖書に根拠がないとして聖職者の独身制を否定しています。
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またルターの宗教改革において、ルターの思想の体系化に尽力した神学者フィリップ・メランヒトンの肖像画もあります。
いずれもルカ・クラナッハ(父)の筆によるものです。

また宗教改革の環境で制作されたクラナッハとデューラーの版画もかなり良い保存状態もの物が展示されています。
ローマ法王を輩出した家系であるメディチ家のコレクションに宗教改革関連の作品が多数あるというのも面白いですね。
コジモ1世がファルネーゼ家出身の法王と敵対していたという背景も関係しているのかもしれません。

この展示会のため、多くの作品(特に展示されているクラナッハ版画の全点)が修復されました。
ローマを揶揄する版画。
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「アダムとエヴァ」デューラー作
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「アダムとエヴァ」ルカ・クラナッハ作
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「十字架磔」クラナッハ作
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「聖ピエトロ」クラナッハ作
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ウッフィツィ特別展2017 日本のルネッサンス

シニョーリア広場地区
11 /04 2017
フィレンツェのウッフィツィ美術館にて特別展「日本のルネッサンス IL RINASCIMENTO GIAPPONESE」が開催されています(2017年10月3日〜2018年1月7日)

室町時代と江戸初期の日本の屏風絵や襖絵を、期間中に13枚ずつ3回に分けて(全部で39枚)展示するということです。
日伊修好通商条約150周年を祝してのイベントとなります。
禅の精神や中国文化との繋がりをうかがえる作品とイタリアでは紹介されていますね。


特別展の入り口はウッフィツィ美術館の地上階、ミュージアムショップの間にあります。
チケットはウッフィツィ美術館の入場料に含まれていますので、プラスで払う必要はありません。

ちなみにウッフィツィ美術館に展示されているゴシック時代の宗教画の背景にも金箔が貼られています。
日本の金屏風を連想しますね、とお客様に説明することがありましたが、今回は図らずも両方を同美術館で鑑賞できる機会となりました。

はたして金箔は、宗教的な荘厳さか、奥行きのある空間か、所有者の権力の誇示か。
西洋と東洋の「絵画における金箔」を見比べてみるのもまた一興です。

シニョーリア広場のUrs Fischer

シニョーリア広場地区
09 /29 2017
シニョーリア広場に置かれた大きなオブジェ、スイス人芸術家Urs Fischerの作品です(2017年9月22日〜2018年1月21日)
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2011年のヴェネツィアのビエンナーレにて大きな評価を受けたアーティストで、その時の作品はシニョーリア広場にあるジャンボローニャの「サビニ女の略奪(原寸大)」を蝋で作り、展示期間中に作品がだんだんと溶けていくものだったそうです。

参照→ Urs Fischerの作品 - ベネチアアートビエンナーレ 2011にて

今回、シニョーリア広場に設置された彼の作品は「Big Clay」という題名で、12mの高さを持つ巨大な作品です。
原始的な幼稚な、トーテムのような建築のような作品…
よく見ると表面にはアーティストの指紋が見られ、実際に粘土で作った作品を巨大化して金属で再現したものだそうです。「手を使った創造的な行動はシンプルで日常的なものである」ことを表現しています。

ヴェッキオ宮殿の前にはもう2点の作品が設置されましたが、そちらは実在する人物、美術評論家のFrancesco Bonamiとロックバンドのザ・ストロークスのドラムFabrizio Morettiの像を蝋で表現しています。こちらは1ヶ月をかけて段々と溶かしていく予定だとか。

参照→Urs Fisher conquista Piazza della Signoria

オルサンミケーレ教会の年表

シニョーリア広場地区
09 /04 2017
フィレンツェのオルサンミケーレ教会は大天使ミカエルの名前を戴く14世紀の教会です。

8世紀中頃  広い菜園を持った女性用の修道院が存在していました。その菜園の中にあった祈祷所が教会に建て替えられます。大天使ミカエルに捧げられたこの教会は「San Michele in Orto(菜園の聖ミカエル)」と呼ばれ、ここからオルサンミケーレ教会の名前が由来します。

1240年 教会は穀物用の市場(ロッジャ)を設置するために取り壊されます。

1290年 最初のロッジャ(開廊)がおそらくアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設されます。ロッジャの柱の一つにフレスコ画「Madonna del Popolo(大衆の聖母)」が描かれ、奇跡を起こすと人々の信仰を集めます。

1304年 火事によりロッジャは大きな被害を受けます。

1337〜50年 シモーネ・タレンティ、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ、ベンチ・ディ・チオーネによるロッジャの修復工事。

1343年 聖アンナの祝日に、アテネ公グアルティエリがフィレンツェから追放され、聖アンナを奉献する祭壇を設けます。

1347年 ベルナルド・ダッディ作「Madonna delle Grazie 恩寵の聖母」火事で失われた「大衆の聖母」の代わりです。
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1349〜59年 オルカーニャが「恩寵の聖母」を設置するための大理石の礼拝壇を制作。
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1360年〜 ペストのために何回の中断を経ながら、ロッジャが改築され教会へ移り変わり、開廊のアーチが閉ざされます。14世紀を通じて、内部はフレスコ画装飾がなされました。
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1404年 同業者組合の守護聖人像を教会の壁龕に設置することを政府が許可します(組合からのリクエストは1339年から)こうして14の壁龕に彫刻が並べられていきます。
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1526年 フランチェスコ・ダ・サンガッロ作「聖アンナと聖母子」像、シニョーリアから注文された、アテネ公追放を感謝する印として描かれた絵画の代わりでした。
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1569年 穀物倉庫として使われていた上階をコジモ1世が公証人の記録保管所にします。また毛織物業組合の建物の上階と繋ぐ空中廊下も建設されます。

18〜19世紀 壁龕の彫刻はブロンズと大理石製がありましたが、全ての作品がブロンズに見えるように、大理石像が表面が黒く塗られました。

1941年 戦争の被害を避けるため、壁龕を砂袋を埋めて作品を保護します。

1996年 上階がオルサンミケーレ美術館として開館、修復が終わった彫刻は壁龕に戻されることなく美術館に展示されます。現在、壁龕にある作品は全てレプリカです。

2005年 最後の修復「聖マタイ」が終了。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。