カラヴァッジョのバッカス

シニョーリア広場地区
03 /08 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
97室「カラヴァッジョ バッコ」にある作品を紹介します。

「バッカス」はカラヴァッジョことミケランジェロ・メリージが1596〜1597年に描いた作品です。
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メディチ家のローマ大使であったデルモンテ枢機卿から注文されました。メディチ家のコジモ2世の結婚の折に、その父のフェルディナンド1世へ贈られたと考えられています。

作品は当初はブオンタレンティによって設計されたアルティミーノ別荘におかれ、その後ウッフィツィに運ばれます。一時期はその存在が忘れられ倉庫に入っていたようで、1913年に再発見されました。

酒と酩酊の神であるバッカスの伝統的な図像は、裸で頭にはブドウと蔓の冠を載せているものです。
ドメニコ・ヴェネツィアーノの2枚の板絵では異教の神への贈り物である果物籠を持っており、このイメージが北イタリアから中部イタリアの芸術家の間で普及してレプリカが制作されていました。

1593年にカラヴァッジョが描いた「Bacchino malato 病いのバッカス」の痩せた顔色の悪いバッカスに比べると、こちらは顔も丸く顔色も良く、健康と豊かさを象徴しています。
バッカスが左手にワイングラスを持っていることから、カラヴァッジョが鏡に写した自分自身をモデルに描いたのではないかとも推測されています。またワインの水面に水紋があるのは、酔いのために手が震えているのかもしれませんね。

ハドリアヌス帝の愛人アンティノーを彷彿とさせるものがあり、カラヴァッジョの同性愛的側面を表現しているとも、永遠の若さの表現とも、またイエスの血のシンボルである赤ワインから「犠牲と救済」を表しているなど、様々な解釈がこの作品に対してなされています。

またバッカスは右手に黒いリボンを持っていて、その高さが臍のあたりであることから新プラトン主義フィチーノの「Homo copula mundi」を示唆していると考えられます。
copulaとはmedio(中間の)という意味です。「Homo copula mundi」とは「世界の真ん中の人間」
世界を5つの階層に分け、その真ん中に人間の「魂」が位置するという思想です。最上階には「神」最下層には「肉体」となります。神と地が出会う場所、そこが人間の魂なのです。

参照→Ficino

修復の際にワインのカラフの中に男の顔が描かれているのが見つかり、これもカラヴァの自画像と考えられています。

参照 Mina Gregori, Caravaggio (2010年ローマのカラヴァッジョ展のカタログ) Milano, Skira, 2010, pp. 76-81, ISBN 978-88-572-0601-1
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レオナルドのメデューサは何処に

シニョーリア広場地区
03 /04 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
96室「カラヴァッジョ メデューサ」にある作品を紹介します。

「メデューサの首」オットー・マルセウス 17世紀
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この作品はそのできの良さから、ヴァザーリが芸術家列伝に綴ったレオナルド・ダ・ヴィンチ作品だと考えられていました。

ヴァザーリの物語によると、レオナルドは父親に何も言わずに「メデューサの首」を描き、葉などで周りを覆って実物の首に見せかけたとか。父親はきっと心臓が止まったことでしょう…ところがこの事件がきっかけで父親は息子の才能に気づき、ヴェロッキオの工房に弟子入りさせたそうです。

写真の作品は1668年にメディチ家コレクションに入り、18世紀には「ヴァザーリが語ったレオナルド作のメデューサで、コジモ1世のコレクションであった」と認められました。
イタリアを訪れたスタンダールもこの作品をレオナルドの手によるものと信じて鑑賞したのです。

ところが20世紀に入ってレオナルドのオリジナルなのかコピーなのか確かめようとした時に、メディチ家コレクションにこの作品が入った時の文書が見つかり、フランドル地方の画家の作品であると判明したのです。
したがってコジモ1世が所有していたはずのレオナルドの「メデューサの首」は16世紀末の消息以来、行方不明だということになります。

オットーの作品ではメデューサの周りにカエルやホタル、ネズミ、コウモリなどが非常に正確に描写されています。

ゴルゴネイオンと鬼瓦とヴェルサーチ

シニョーリア広場地区
03 /03 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
96室「カラヴァッジョ メデューサ」にある作品を紹介します。

ミネルヴァ(2世紀)
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1780年からウッフィツィ美術館が所有している作品です。
18世紀の時代から、今見る頭部がついています。この頭部も古代彫刻ですが、もとは体の部分とは別の作品でした。

ミネルヴァはペルセウスのメデューサ退治を助け、蛇髪の生えた怪物の頭をもらい受けました。
メデューサとはギリシャ神話に登場するゴルゴーン3姉妹の一人です。
ゴルゴーンには髪の毛の代わりに生きている蛇が生えていて、その顔を見た者を石化することができました。

古典古代の美術では、メデューサの首はミネルヴァの山羊皮のマントの上に置かれていて、後代になると、首は女神の盾を飾るモチーフとなります。
この作品ではミネルヴァの胸部をメデューサの首が飾っています。

そしてゴルゴーンの首をかたどった絵や彫刻をゴルゴネイオンと呼びますが、メデューサの首がついた古代ギリシャのペンダントから由来しています。

ゴルゴネイオンは魔除けとして使われてきたモチーフで、古代ギリシャでは建物入り口すぐのモザイク模様の床に描かれたり、アッティカでは災難が発生するのを防ぐために窯の扉に描かれていたそうです。
ゴルゴネイオンがシルクロードを通じて東洋まで伝来したものが鬼瓦の原型となったと言われ、現代ではヴェルサーチ社のロゴとしても使われています。

空中に浮かぶメデューサの首

シニョーリア広場地区
02 /28 2018
2018年2月ウッフィツィ美術館に「カラヴァッジョと1600年代」の新しい4つの部屋が公開されました。
今日からこれらの部屋を紹介していきたいと思います。

96室「カラヴァッジョ メデューサ」
カラヴァッジョが描いた「メデゥーサの頭の盾」を中心にメデゥーサを扱った作品が並んでいます。


ミケランジェロ・メリーズィことカラヴァッジョの1597年の作品で、画布に油彩で描きイチジクの木を使った盾に貼ってあります。実は個人所有しているバージョンがオリジナル(pentimento〜修正の跡〜が見られるため)であり、ウッフィツィ所有バージョンにはpentimentoが無いために画家自身がコピーしたものと考えられています。

見るものを石化させるメデューサの頭部、ペルセウスは鏡のように磨いた盾にメデゥーサを映して、間接的にその姿をみながら首を切り落とします。
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オリジナルバージョンにはメデゥーサの頭から吹き出る血の部分にカラヴァッジォのサインが残されているそうです。

ウッフィツィのセカンドバージョンにはイチジクではなくポプラが使われています。
メディチ家のフェルディナンド1世のために制作され、1598年から同家の所有になっています。
フェルディナンドはヴェッキオ宮殿に武器コレクションの部屋を作り、カラヴァッジョのメデューサはこの中に展示されていました。

「メデューサ」というテーマは「慎重」と「懸命」のアレゴリーとして、メディチ家にとって大切なものでした。
すでにフェルディナンドの父コジモ1世がレオナルド・ダ・ヴィンチ作のメデューサを入手しており(この作品は残っていません)シニョーリア広場にはチェッリーニ作ブロンズ「メデューサの首を持つペルセウス」が設置されました。

カラヴァッジォの作品では、メデューサの左上から差し込む光が、凹んだように見える背景に影を落とし、まるで首が空中に浮かんでいるように見えます。ガラスケースに透明のサポートを付けた展示方法もこの点をうまく見せていますね。
口腔の闇と歯の白さが互いを際立たせています。

次回は同室の他の作品を紹介します。

宗教裁判にかけられたパンチャティキ

シニョーリア広場地区
01 /15 2018
2017年10月30日〜2018年1月までウッフィツィの2階で行われている特別展「i volti della Riforma 宗教改革の顔」についてこの日記でご紹介しました。

この特別展にバルトロメーオ・パンチャテキの肖像画があります。
panchatichi
普段はウッフィツィ美術館の2階、ブロンズィーノの部屋にあるのですが、宗教改革の展示会になぜ彼の顔があるのでしょう?

パンチャティキはリヨンで活動していたフィレンツェ人の商人です。またパリではメディチ家の代理人でした。
マニエリスムの代表的な画家であるブロンズィーノのパトロンでもあります。
マニエリスムは16〜17世紀というルネッサンスからバロックの過渡期にフィレンツェを中心として起こった美術運動で、力強く優美、過度に技巧的な様式が特徴です。

バルトロメーオ・パンチャティキはカルヴァン主義に興味を持ったため宗教裁判にかけられましたが、コジモ1世のとりなしによって無罪となりました。

1540年代、メディチ家コジモ1世はファルネーゼ家出身の法王パオロ3世と敵対関係にありました。この時期にフィレンツェでは宗教改革関連の発禁本などが持ち込まれ、アカデミーでも改革の影響を少なからず受けたようです。コジモ1世は宗教裁判にかけられたフィレンツェ市民を擁護しました。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。