ルネッサンスの墓碑はカタコンベから

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01 /30 2018
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会、旧聖具室にメディチ家当主ピエロの墓があります。
大理石、ブロンズ、斑岩、灰色砂岩を使い、アンドレア・デル・ヴェロッキオが1469〜1472年に制作した作品です。
tomaba piero
正確には「旧聖具室」と隣の「聖遺物の礼拝堂」の中空層に位置していて、とても変わった墓碑です。

墓碑はメディチのロレンツォ豪華王の注文により制作され、ロレンツォの父親ピエロと叔父ジョヴァンニの二人を弔ってあります。

上部にアーチを持つ壁龕に棺を設置する墓碑は「アルコンソリウム(伊語 アルコンソーリオ)」と呼ばれる様式で、初期キリスト教回の地下墳墓(カタコンベ)の典型的なものでした。

13世紀にこの様式は復活しますが、この頃は上部に先頭アーチを持っていました。
これがルネッサンスの時代には古代と同じ丸いアーチとなります。
このスタイルの代表的な作品はサンタ・クローチェ教会の中にある2つの墓碑です。

レオナルド・ブルーニの墓碑(ベルナルド・ロッセッリーノ作)
tomba leonardo

カルロ・マルスッピーニの墓碑(デズィデーリオ・ダ・セッティニャーノ作)
tomba carlo

そしてピエロの墓碑のそれぞれのモチーフは、他の芸術家から影響を受けたものです。
◉植物の渦巻き模様やライオンの脚←「マルスッピーニの墓碑」
◉棺の中央に蛇紋岩のメダル←ルカ・デッラ・ロッビア作「フェデリーギの墓碑」(サンタ・マリア・ア・ペレートラ教会)
◉棺の下の台座の四隅が亀の背に乗る←アントニオ・デル・ポッライオーロ作「ヘラクレスとアンタイオス」
◉二つの部屋の中空層に位置←ロッセリーノ作「ネーリ・カッポーニの墓碑」(サント・スピリト教会)

ちなみにこの「ピエロの墓碑」からレオナルド・ダ・ヴィンチが影響を受け、「受胎告知」(ウッフィツィ美術館)の書見台のモチーフにライオンの脚などのモチーフを描いたと言われます。「ピエロの墓碑」を製作したヴェロッキオのもとでレオナルドは14〜21歳のころまで修行していました。
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絵の時勢

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01 /14 2018
前回と同じく『NU7(国立七大学の総合情報誌)』を読んでいて思ったことを書きます。
日本絵画の時勢について書かれていたので、それでは西洋絵画ではどうなっているんだろう?と比較をしてみました。

日本の絵巻物は肩幅(43cm)を開き、見終わったら右側に巻き取って、また肩幅分を開く…と繰り返して鑑賞します。
つまり右が過去、左が未来と場面が進んでいくそうです。そこで旅立つ人は左向き(未来を目指す)に描かれ、訪れてくる人は右向き(未来からやってくる)という形になります。

日本画では襖絵、屏風まで「左未来」の時勢の規則があるそうで、これは日本語を縦に書く場合に左へと進むことから生まれた習慣ではないかと、この本では推測されていました。

西洋絵画では…と考えると。

ボッティチェリの「春」には様々な解釈方法があるのですが、一説には「右から左に」それぞれの人物が3月4月5月6月7月8月9月10月を表現していると言われます。これだと「左未来」の日本画と一緒になります。
primavera

「東方三博士の礼拝」では左端に聖母子を置き、右から三博士(三賢王)が訪れる構図が典型です。すると日本画と反対で「訪れてくる人は左向き」となります。
※ボッティチェリはこの図を聖母子を中心にした三角形の配置に変えました。レオナルド・ダ・ヴィンチもボッティチェリの構図を取ります。
adorazione

受胎告知では左に天使、右にマリア様を配置するのが普通です。これは日本語と反対で文章が左から右に進む、つまり「天使は・お告げをした・マリアに」という語順を追って、描かれているからではないかと言われます。
annunciazione

絵画作品を鑑賞するときに時勢に注目するのも面白そうですね!

参照 NU7 National University Seven 2017.11

無限定空間表現

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12 /26 2017
ウッフィツィ美術館で「日本のルネッサンス」という題名の特別展が行われています。重要文化財の襖絵や屏風絵が展示され、東西文化の作品の違いを一つの美術館の中で見ることができる機会になっています。

以前、京都で出会った僧侶の方から「西洋絵画は背景まできっちり書き込むところが、日本絵画の空を残す描き方と大きく違いますよね」とお話を聞いたことがあります。

『NU7(国立七大学の総合情報誌)』を読んでいて、この日本画の空間を規定しない方法を「無限定空間表現」と呼ぶのだと知りました。鑑賞者に想像する余地を残す描き方により、モチーフを包む空気まで感じ取れるような気がします。

しかし空間を規定しないというなら、背景を闇の中に閉じ込めたカラヴァッジョの作風も無限定空間表現と称することができるのでしょうか?

西洋絵画では陰影法で物体の立体感を表現しますが、日本絵画では「影は他の物体に落ちて汚すこと」と言われ避けられたそうです。カラヴァッジョの作風は、人物が背景の暗闇から浮かび上がる様子なので、強調して陰影法が使用されています。人物に鑑賞者の関心を集中させるために空間を規定していないんですね。

カラヴァッジョの凝縮された暗闇は、無限に広がる空間を想起させる日本絵画とは全く逆方向の嗜好だと思います。
ダヴィデ

それよりも遠くのものほどかすんで見える表現の「空気遠近法」の方が近いかもしれません。空気遠近法はルネッサンス期の絵画や東洋の水墨画などによく見られる手法とされています。

モナリザにも空気遠近法が使われています。
モナリザ

ちなみに
空気遠近法は「遠くのものほど霞んで見える」
色彩遠近法は「遠くの方ほど青みがかって見える」

この二つは同じではありません。

参照 NU7 National University Seven 2017.11

ツバメのシンボリズム

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12 /09 2017
捨て子養育院美術館に並ぶ絵画作品の中に「ツバメ」が描かれた作品を2枚発見しました。
こちらは「受胎告知」
innocenti2
精霊を表す鳩がこの場面に出てくることはとても多いのですが、ここではマリア様に向かって降下する鳩意外に、天使ガブリエルの頭上につがいと思われるツバメが2羽、描かれています。

どうやらマドリッドにあるフラ・アンジェリコの「受胎告知」にもツバメが描かれているようです(つがいではなく1羽)

こちらの作品ではキリストが左手にツバメを持っています。
innocenti1
これらの作品が2枚並んでいたものですからとても印象に残りました。

ツバメは宗教画ではどのような意味があるの?と同僚のガイドに聞いたところ「春ごとに戻ってくるから(イエスの)復活の象徴なのでは?」ということでした。

「ヨーロッパの装飾と文様」という本によると
◉幸運の予兆
◉庶民の味方
◉貧乏人の守護神
◉19世紀には革命の象徴

またシンボリズムのサイトで探すと「春の訪れを告げるもの」であることから繋がる意味合いを持っていることが多いようです。
◉平穏な夫婦生活
◉子供の健康
◉希望の寓意

古代ローマでは死んだ子供の魂がツバメになって家に戻ってくると考えられていました。

そしてキリスト教ではやはり「復活」の象徴。
イースター祭(復活祭)の頃に姿を現わす鳥であることから繋がっているとか。

参照 simbologia rondine
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多翼祭壇画

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12 /06 2017
何枚かの板絵を額縁の中に収め、建築的な構造を持つに至る祭壇画があります。

2枚の板絵ならdittico(ディッティコ 2連祭壇画)
3枚ならtrittico(トリッティコ 3連祭壇画)
4枚以上ならpolittico(ポリッティコ 多翼祭壇画)


politticoはギリシャ語由来で「poli- 多くの」「 ptychē 折った部分」を組み合わせた言葉です。
別れた板絵それぞれをを額縁に入れ、組み合わせて建築的な構造まで発展させます。

多翼祭壇画が普及していった時代は14世紀の初めだと考えられています。
おそらく13世紀終わりからの「dossale(ドッサーレ 祭壇装飾)」の発展から繋がっているようです。

ちなみにdossaleはdorsale(ドルサーレ 背の、背中の)という言葉から来ており、またの名前をretorotabula(レトロターブラ 後ろの板)と呼び、ここからretabloと短縮した名前もあります。

ミーノ・ダ・フィエーゾレ作のドッサーレ
dossale
初期のドッサーレはサイズも小さく持ち運び可能で、重要なミサの時だけに祭壇の上に後ろの壁に寄りかかる形で設置されていました。ドッサーレは彫刻、絵画、両方を組み合わせたものがあります。

ここから祭壇画(pala d'altare)や多翼祭壇画(polittico)が生まれます。
シエナのドゥッチョが13〜14世紀にまたがって描いた多翼祭壇画が、dossaleの構造とゴシック様式politticoの中間と考えられています。

ドゥッチョ作の多翼祭壇画
cuccio
イタリアでは中央に聖母子像、横に聖人たちを描いたパネルが並ぶのが典型的な構成です。
そしてpredella(プレデッラ 裾絵)の部分に聖書や聖人の物語が描かれています。
持ち運び可能のものは、蝶番によって繋がれた左右外側の板絵が蓋となり閉めることができます。

ルネッサンスの時代には多翼祭壇画ではなく、1枚の大きな板絵の中に空間の奥行きを意識して建築を背景に描いたり、また聖人たちの配置でも奥行きを出すようになります。

多翼祭壇画からルネッサンスの祭壇画への過渡期のマンテーニャの作品1456年
柱で画面が区切られているものの、空間が統一化されています。
mantegna

ヴェネツィアーノの祭壇画1445年では画面は区切られていません。
polittico1

多翼祭壇画の普及に関しては地域によって違いがあるので一概には言えませんが、フィレンツェなどの都市では14世紀が中心と言っていいでしょう。

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住25年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。