ヴォルテッラの歴史

ピサ県
05 /05 2017
トスカーナ州ピサ県にあるヴォルテッラは、古代エトルスキの時代に遡る古い歴史を誇る街です。
エトルリアの時代の名前はVeláthri、グラナッチ博物館に収蔵されているエトルリア時代の硬貨にこの名前がはっきりと記されています。エトルリアの都市連合「ドデカポリスdodecapoli」または「ルクモーネlucumone」の主要都市でした。
ラテン語では町の名前はギリシャ語由来の「Volaterrae」と呼ばれ、ここからヴォルテッラの名前が来ています。
ヴォルテッラ
チェチナとエーラの谷を見下ろす丘の上(海抜530m)メタッリーフェレ丘陵地の北部に位置しています。
現在の人口は1万人強。ティレニア海岸線からは30kmほど離れています。
塩、ミョウバン、鉄、銅、銀などの資源に恵まれ、古代からこれらを利用してきました。

【ヴォルテッラの簡単な歴史】
新石器時代 紀元前9〜8世紀 ヴィッラノーヴァ文明。

紀元前7〜5世紀 エトルリアの都市Velathri 最初は農業が中心。

紀元前5世紀 自然資源を利用して裕福になり、エトルリアの中心ルクモニア(12都市)の代表に。この頃人口は2万5千人を超え、ヴァダの港から鉄とアラバスターを地中海全域に輸出します。

紀元前4世紀 市壁を建設、高さ12m、厚さ4m、116ヘクタールを囲む全長7km。Veláthriという町の名前を刻んだ硬貨を鋳造。

紀元前3世紀 ローマ支配が浸透。赤絵の陶器やアラバスターの骨壷を製作。このころの古墳が数カ所見つかっています。

紀元前90年 ローマ市民権を獲得

2世紀〜   町が衰退

1193年  自治都市となりエトルリア時代よりも狭い市壁(26ヘクタールを囲む)が建設されます。プリオーリ広場(元プラート広場)が整備されて行きます。

1208〜1257年 ポポロ宮殿建設(のちのプリオーリ宮殿)広場には多くの塔が建設されていきます。

14世紀半ば フィレンツェ共和国の影響が次第に増してきます。フィレンツェにとってヴォルテッラはミョウバンの利権と、対シエナの要衝として重要な街でした。

1472年 フィレンツェによるヴォルテッラ略奪(ロレンツォ豪華王の命令による)この時のフィレンツェ側の傭兵隊長はモンテフェルトロでした。ロレンツォ豪華王もミョウバンの採掘権を重要視していました。

1472〜1475年 フィレンツェにより新しい要塞ロッカ・ヌオーヴォが建設されます。

18世紀 ロレーヌ家の時代に町が復興、プリオーリ広場の修復や新しい劇場の建設などが行われます。資源を利用する工場を設置し、農業も復興します。

現在、ヴォルテッラの町はアラバスター工芸品の産地として有名です。

◉明礬
明礬
アルミニウム明礬、クロム明礬などの種類があります。硫酸カリウムと硫酸アルミニウムが化合したもの。
媒染剤、防水剤、消火剤、革なめし剤として使われます。
質の悪い水にミョウバンを入れて不純物を沈殿させて飲んだり、脇の制汗剤、防臭剤としても使用。
煮物に入れれば煮崩れを防ぎ、ナスの漬物に入れて紫の変色を防ぎ、ごぼうのアク抜き剤となります。
日本画では和紙へ絵の具がにじまないように、明礬と膠を混ぜたものを和紙に塗ったり、紫陽花の土に入れれば、鮮やかな青色を発色させてくれるとか。
ちなみに温泉によく見られる湯の花は明礬が固まったものです。
昔はベーキングパウダーにも使われていたそうですが、アルミニウム摂取が過ぎると体に良くないので最近はアルミニウムフリーの製品が多いそうです。

◉アラバスター
アラバスター
大理石に似た半透明の白い石で、不純物が入ると縞目の模様ができます。
大理石よりも柔らかく、加工が容易なため古代から美術品、工芸品に使われてきました。
主要生産国はイギリスとイタリア。イタリアのものはフローレンス・マーブルと呼ばれます。
薄く切って窓ガラスの代用品となっていましたが、ルネッサンス以降はガラスが普及したため、装飾工芸品だけに使われるようになります。
アラバスターには石膏(雪花石膏)と方解石と2種類あって、古代のものは方解石です。
二つの見分け方ですが、雪花石膏は爪で傷がつく柔らかさ、方解石は爪で傷がつきません。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。