グラナッチ考古学博物館

ピサ県
05 /06 2017
ピサ県のヴォルテッラは古代エトルリア主要都市でした。
したがってこの町にあるグラナッチ考古学博物館が豊かなエトルリア文化の遺産を所有しています。
granacci
18世紀の高位聖職者マリオ・グラナッチのコレクションが中心です。エトルリア関連ではイタリアでもっとも重要な展示で、600もの骨壷を所有しています。グラナッチは1761年にコレクションを町に寄贈します。彼よりも30年ほど前の司祭フランチェスキーニのコレクションを加え大きな文化遺産となりました。
ヴィッラノーヴァ時代の古墳からの発掘品から、エトルリア文明の発展の時代(orientalizzante 東方化と呼ばれる時代)のもの、アラバスターや凝灰岩やテッラコッタを使った紀元前4〜1世紀の遺灰壷などが並んでいます。

グラナッチ博物館は最初から現在の建物の中にあったわけではなく
1761年 ルッジェーリ宮殿(グラナッチが住んでいた場所)
1785年 プリオーリ宮殿(現市庁舎)
1877年 デズィデーリ・タンガッスィ宮殿
と場所を移してきました。現在の博物館は1500㎡の面積の中に考古学的に重要な作品が時代ごとに展示されています。

ヴォルテッラや付近で発見された墓から見つかった様々な遺品が展示があります。エトルリア時代の遺灰壺が、時代ごとにどのように変化していったのかを見ることができます。

紀元前10〜8世紀 ヴィッラノーヴァ時代
井戸型の古墳で、社会の階層によっての違いはなかったものと考えられます。
遺灰を入れた壺に、逆さまにした小鉢が載せられていました。

紀元前8世紀 東方化(orientalizzante)時代
上流階級用の豪華な墓(tomba a ziro)が見られるようになります。
ziro
石でできた円筒型の容器(ziro)に遺灰と調度一式が入っていました。
ziroはテッラコッタの膨らんだ壺で、もとはオイルの容器です。ziroを使った墓はキウーズィの町などで発見されています。

紀元前7世紀
中流階級の墓が現れます。
また公職にあった役人の墓の調度には「本、巻物、縁取りのついたトーガ、折りたたみ式の椅子、権𠀋」などが入っていました。

紀元前4世紀
遺灰壺の模様には「戦う幻想的な動物」「葬式の様子」「伝説の生物」「装飾的な模様の繰り返すパターン」などが使われます。

紀元前4世紀半ば
壺の蓋に故人など、人間の彫像をつけます(最初は足を伸ばして寝そべった様子→次第に足を組むポーズ)
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箱の部分はあの世(al di là)に向かう旅の様子

紀元前3世紀
遺灰壺にアラバスターが使われるようになります。壺には英雄風の故人や、宴会での故人の姿(盃を持っている)を表します。

紀元前2世紀
故人の服装にチュニカが見られるようになり、エトルリアがローマ化していることがわかります。

紀元前2世紀末
同じタイプの壺が大量生産されていきます(中流階級への安いタイプの壺生産)

紀元前1世紀
リアリスティックな故人の様子を表現するようになります。


次回はエトルリア古墳のタイプを書きます。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。