ヴォルテッラのプリオーリ宮殿

ピサ県
05 /11 2017
ヴォルテッラのプリオーリ広場には、この町の政教の中心であった建築が並んでいます。
この広場は以前は「prato episcopale 司教の芝生」とか「piazza del Olmo ニレの木の広場」「 piazza maggiore 大きな広場」と呼ばれてきました。9世紀中頃から重要な市が開催されていたそうです。

◉プリオーリ宮殿 1208〜1257年
◉ヴェスコヴィーレ宮殿(司教館) 1472年から司教の館に。それまでは有力市民の邸宅。
◉インコントリ宮殿(以前は神学校、現在はヴォルテッラ貯蓄銀行)
◉プレトーリオ宮殿(最初はcapitano del popolo〜中世の都市国家の軍事組織の市民隊長〜の本部。現在は治安判事が使用)13世紀のいくつかの建築を合併したものです。
◉子豚の塔 1224年 広場で一番高い塔をコムーネが買収し、ポデスタの本部として使っていました。子豚の像はイノシシという説もあります。
◉モンテ・ピオ宮殿 20世紀初め(中世には塔型住居が建っていた場所。17世紀から穀物貯蔵庫だった)
以上の建築が立ち並んでいるのですが、中でも重要なプリオーリ宮殿についてまとめます。

ヴォルテッラのプリオーリ宮殿はトスカーナ地方で最も古いコムーネ(自治都市)の宮殿です。
プリオーリ
例えばフィレンツェのヴェッキオ宮殿は1299年着工ですから、それよりも90年ほど前です。
(フィレンツェではヴェッキオ宮殿よりも先に、バルジェッロ宮殿が1255年に自治都市の政府の建物として着工されています)

宮殿の建築は神聖ローマ帝国のイルデブランド・パンノッキエスキ男爵の意向で、リッカルド・ダ・コモ工匠に任されました。
1208年 着工
1234年 地上階が使用されるようになります。
1257年 完成、コムーネの長老会議の住居として使用。長老会議(Anziani)のメンバーは24人→後に18人の執政官(Priori del Popolo)
1283年 12人の市民防衛者(Difensori del Popolo)が使用。
1472年 フィレンツェがヴォルテッラを支配し、フィレンツェの司法長官(capitano di giustizia)が使用。
1846年 地震で崩壊した鐘楼を復元

ファサードを飾る釉薬陶器の家紋は、司法長官を務めたフィレンツェの有力家族のもので、15世紀に付けられました。
建築外部の角にはフィレンツェ共和国の紋章を持つ2頭のライオンの像もあります。

建設にはそれぞれの地方の長さの単位を使うのですが、地方によって差があります。
ヴォルテッラでは…
ブラッチョ→63cm (フィレンツェでは58cm)
カンナ→2,52m(4ブラッチョ)

2階には議会の間(la Sala del Consiglio)があり、今でも市の会議所として使われています。横には礼拝堂も残っています。
3階は長老会議メンバー、さらにプリオーリのメンバーの寝泊まりする場所でした。大きなホールは食事用ホールや集会所として使用されました。
最上階は台所と薪の倉庫。荷物は宮殿の中庭から貨物昇降機によってこの階まで運ばれていました。

美術品
◉「受胎告知」1398年 ヤコポ・ディ・チオーネ・オルカーニャ 議会の間
◉議会の間の他のフレスコ画は19世紀
◉「磔刑図とフィレンツェの聖人たち」1490年 ピエル・フランチェスコ・フィオレンティーノ

ちなみにこの宮殿内部は映画の「New Moon」の第二作「Twilight」の撮影に使用されました。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。