メディチ・リッカルディ宮殿の年表

ドゥオーモ地区
08 /28 2017
3世紀に渡りフィレンツェを支配したメディチ家。その本宅として建設されたメディチ・リッカルデ宮殿の年表をまとめました。建築に関する項目は紫色で書いてあります。

1444年 メディチ家のコジモによりミケロッツォの設計で着工。最初の段階でコジモはブルネレスキにプロジェクトを依頼したが、他の市民の嫉妬心を買うことを恐れてミケロッツォを選んだと言われる。コリント式の円柱で囲まれた中庭はアルベルティがルチェライ宮殿に使った古典的な要素からインスピレーションを得た。ルネッサンス時代のフィレンツェの典型的な建築スタイルとなる。
mr4
1452年 フィリッポ・リッピ作「聖母子」
mr5
1459年 宮殿内の礼拝堂にベノッツォ・ゴッツォリ作フレスコ画「東方三博士」
mr2
1494年 ロレンツォ豪華王の死去(1492年)の後、メディチ家はフィレンツェから追放され、メディチ宮殿からは芸術品(ドナテッロの「ユディット」やブロンズ製「ダヴィデ」など)が強奪されてヴェッキオ宮殿に運ばれる。

1512年 メディチ家の当主となったジョヴァンニがフィレンツェに復帰(翌年にローマ法王レオ10世となる)

1517年 地上階の角にあったアーチが閉じられ、窓が設けられる。「ひざまづく窓  finestre inginocchiate」と呼ばれるデザインはミケランジェロのデザインによると言われる。

1527年 神聖ローマ帝国軍によるローマ劫掠。歴史上3回目にして最後のメディチ家追放。メディチ邸も再び略奪に遭う。

1530年 神聖ローマ帝国軍によるフィレンツェ包囲の結果、メディチ家復帰。

1537年 当主アレッサンドロがいとこのロレンザッチョに殺され、メディチ本家の血筋が途絶える。実権は分家のコジモ1世へ。

1540年 コジモ1世と妻のエレオノーラはヴェッキオ宮殿へ移り住む。

1659年 フェルディナンド2世はメディチ邸を銀行家のリッカルディ家に売却。

17世紀 リッカルディ家は邸宅に増築改築を重ね、フィレンツェバロック様式へと変容させる。
増築されて南北に長くなった宮殿。
mr3
1682〜85年 ルカ・ジョルダーノ作フレスコ画「メディチの寓意」
mr1
1810年 リッカルディ家が邸宅をロレーヌ家に売却。

1865年 イタリア統一後フィレンツェ首都時代、メディチ・リッカルディ宮殿は内務省のオフィスに。

1874年 フィレンツェ県が邸宅を買い取る。

1939年 一部が美術館として公開される。

1992年 「マギの礼拝堂」が人数制限制で一般公開される。

参照「Firenze e provincia」 Touring club italiano
スポンサーサイト

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。