19世紀前半の髪型カタログ

サンマルコ地区
10 /30 2017
フィレンツェのアカデミア美術館には大きなジプソテーカ(石膏室)があります。
ここには19世紀のバルトリーニやパンパローニといった19世紀の芸術家が作った石膏像が置かれています。
その壁には女性の胸像がずらりと天井に届く高さまで展示されているのですが、これらの胸像から当時の流行りの髪型を伺うことができます。

髪型はいつの時代もモードに深く結びつき、時代の考え方に適応していくものです。
19世紀前半のフランスのスタイルが当時の流行を決定するもので、髪型は服のボリュームに合わせてしぼんだり膨らんだり変化していきました。
例えば新古典主義や帝政時代には服装は縦のラインでシンプルなものが流行り、髪型もボリュームを抑えます。
ロマン主義時代には袖やスカートが膨らむスタイルになり、髪型も膨らみます。
それから1840年代には髪型はうなじの部分に丸くまとめるようになっていきます。

1796〜1805年ごろ
acconciatura5
フランス革命時代、勇猛な女性は古代ローマのモデルから髪を短く切りました。
Titusと呼ばれた髪型で、新しい女性の姿の象徴でした。それまで体を締め付けていた服装は一変し、胸も自由に腕や足の素肌が目立つスタイルでした。
それ以外の女性は前髪だけを残してうなじを見せる髪型が流行りました。

1805〜1812年ごろ
acconciatura4
ナポレオン帝政時代、前髪は左右対称にして後ろの部分は三つ編みに結って丸形に上部にまとめる髪型が流行になります。その中に高価なクシをさして髪を飾りました。
服装は胸部の下で絞り、胸を強調するスタイルになります。硬いラインの服へと移り変わっていきます。

1812〜1828年ごろ
acconciatura3
額にかかる巻き髪はボリュームを増します(夜間に巻いたまま寝てボリュームを出しました)後ろにまとめた髪は上の方に移動します。
1820年ごろから胸の下で絞っていた洋服のポイントはウエストの正しい部分まで下がっていきます。袖やスカートは柔らかく広がるラインが好まれました。

1828〜1835年ごろ
acconciatura2
後ろ髪はつむじのあたりにまとめます。カゴ型に編まれた髪には花や羽をさして飾り付けました。支える構造によって袖もスカートも横に広がります。

1835〜1845年ごろ
acconciatura1
額に垂らしていた前髪を伸ばして顔の横でまとめるようになり、肩に触れるぐらいの長さにたどり着きます。後ろ髪も編んだりまとめたりして、うなじにかかるようにしました。
服は不自然な形にまで膨らみ、鳥かごのように組まれた骨組みがスカートを支えました。

こうして見ていくと19世紀において、10年あるいはそれ以下のスパンで髪型も服装も変化しているのですね。
社会の変革と服装の変化のつながりを見ていくと面白いでしょうね。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。