契約の国イタリア

ちょっとかじる歴史の話
09 /17 2013
中世イタリアに関しては膨大な量の資料が残っているのですが、これはいくつかの理由があります。

まずは「商業的伝統」です。
多くのイタリアの都市国家は中世の時代に商業と金融業によって栄えました。
都市国家は商業活動に役立つ教育を受けたものたちを中心とする社会だったのです。

イタリアの商人たちには優れた実務能力がありました。
もともと商人の世界に必要な数字と法は、イタリアで発展していったのです。
例えばゼロを含むアラビア数字(0,1,2,3…)は、ピサ出身のレオナルド・フィボナッチによって西ヨーロッパにもたらされ、ローマ字の代わりに数字の表記として使われるようになります。(それまでは1がI、5がV、10がX)
また簿記や手形といった商業技術もイタリア人によって広められます。

もう一つはイタリア人が持っていた「記録への執念」です。

例えばシエナ共和国がフィレンツェ共和国への戦いに挑む前夜、市長が聖母に祈りを捧げ「シエナと人民を聖母に捧げる」という誓約を行ったことを、公証人に文書に記させました。
このように神への誓約さえも「契約書」にして残したのです。

中世の人間は「人との関係は記録によってはじめて確実なものになると思っていた」のです。
このため中世からルネッサンス時代において、都市国家には相当な数の公証人が活躍していました。
16世紀の公証人の肖像画
notaio
ルネッサンス時代の重要な芸術家ブルネレスキやレオナルド・ダ・ヴィンチも公証人の家の生まれです。

フィレンツェやピサ、ジェノヴァなどでは200人に1人の割合で公証人がいたとか。
公証人の起源は古代ローマ法に由来すると言われますが、職業として見られるようになるのは12世紀からです。

こうした記録への執念が、私たちが中世イタリアを知る大切な資料になっているのですね。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。