ペストで半減したフィレンツェ共和国市民

フィレンツェ市
02 /01 2014
フィレンツェの大聖堂着工は1296年、13世紀の終わり。
大聖堂の大きさや壮麗さは、都市国家の権力のシンボルでもあります。
山のような大きな大聖堂を建築できたフィレンツェ共和国、その当時の人口は何人ぐらいだったのでしょう?
フィレンツェイメージ
13世紀終わりにフィレンツェには9万人もの人間が住んでいました。ヨーロッパでももっとも大きな都市国家の一つだったのです。
しかし町は城壁で囲まれていたので、住居空間は限られ、とても小さな家がひしめきあっていました。
面積で考えると当時のローマの3倍もの人口密度だったそうです。
フィレンツェの大聖堂は3万人が収容出来ると言いますが、着工当時のフィレンツェ共和国人の3分の1の人口を収容することができたんですね。

フィレンツェ共和国市民の多くは毛織物、絹織物、皮革品の生産や販売に携わっていました。
さらに銀行業も栄え、フィレンツェは「芸術の都」となる前に、ヨーロッパの「経済中心地」として知られるようになったのです。

しかし人口は順調に伸びていったのではなく、14世紀のペスト大流行により、4万人が病に倒れました。
人口が半減してしまったのです。

フィレンツェの人口が再び9万人のレベルまで達するのには、なんとフィレンツェ首都時代、19世紀中頃を待たなければなりませんでした。
フィレンツェがイタリアの首都となった時代、町の改築のためにピエモンテからの政治家とともに工事人が多く集まったのが、19世紀の人口増加の大きな原因だったそうです。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。