裸体の群像「カッシナの戦い」とは?

シニョーリア広場地区
02 /03 2014
フィレンツェのヴェッキオ宮殿にある500人広間。
フィレンツェ共和国政府は、ここに壁画を描くように注文しました。依頼を受けたのはレオナルドとミケランジェロ。
壁画のテーマは、フィレンツェ共和国と他の都市国家の戦いの様子です。
そのうちミケランジェロが描こうとしたのは、フィレンツェ対ピサの「カッシナの戦い」
残念ながらミケランジェロはカルトーネ(下絵)を準備しただけで、作業を中断してしまいました。
そのカルトーネ自体も今は喪われ、ミケランジェロの弟子がコピーした作品が残っているだけです。
battaglia di cascina
多くの男性の裸体が画面を埋めるこの場面、逞しい肉体を表現するミケランジェロの作風を遺憾なく発揮できる作品になったのではないかと想像できます。戦いは武具甲冑をつけて行うものですが、こんなに裸体を描くことができる「カッシナの戦い」とは、どのような戦さ場面だったのでしょう。

この戦いについてはフィリッポ・ヴィッラーニ(「新年代記」を書いたジョヴァンニ・ヴィッラーニの甥)の記録に依ります。
戦いは1364年、ピサ共和国から近いカッシナの土地の、アルノ河沿いで行われました。
7月も終わりの頃、ピサ近くまで進軍してきたフィレンツェ軍。
侵攻する方向に敵軍の姿は見えません。大変な暑さのため、フィレンツェ軍の兵士たちは、鎧を取り外し、アルノ河で水浴びを始めます。
老年で病み上がりであった将軍ガレオット・マラテスタも、午後の休息を許しました。
ところがこれをスパイの報告で知ったピサ軍大将ジョン・ホークウッドは、フィレンツェ軍を奇襲することにします。

ジョン・ホークウッドは、イタリア名はジョバンニ・アクートと呼ばれ、フィレンツェ大聖堂の中にその勇姿をフレスコ画で描かれている人物です。当時の傭兵隊長は依頼によっては、昔の雇い主の敵側につくこともしばしばあった時代です。後にフィレンツェにとって、対ミラノ戦の救世主となるホークウッドもこの時はピサの大将だったのです。

このカッシナの戦いでホークウッドが誤算した点があります。
まずフィレンツェ軍にたどり着くのに、考えていたよりも距離があったこと。
そしてイギリス人やドイツ人の傭兵はイタリアの暑さに慣れておらず、また甲冑を付けていたためにさらに暑さにやられ、その動きは遅いものになってしまったのです。
こうしてピサの奇襲を最小限で食い止めることができた、フィレンツェ軍が逆襲。
奇襲の失敗を悟ったホークウッドは自分の傭兵を退却させます。残されたピサ軍は大敗を喫しました。

ミケランジェロの作品は奇襲に驚き、川から上がって戦いの準備をするフィレンツェ軍の様子だったんですね。

二人の巨匠の壁画は完成されませんでしたが、ミケランジェロとレオナルドの作品が並んでいたら、ヴェッキオ宮殿は大変な観光の名所になっていたでしょうね。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。