さまよえるフィレンツェ大聖堂のファサード

ドゥオーモ地区
02 /12 2014
フィレンツェ大聖堂の正面部分が建設されるまで、それはそれは長い年月が必要でした。
建築の正面部分をファサード(伊語 ファッチャータ)と呼びます。
duomo
大聖堂最初の設計者アルノルフォ・ディ・カンビオは、ファサードを途中まで建築して亡くなりました。
跡を継いで建築主任となったジョットは鐘楼の建設に専念し、ファサード建設は中断されました。

時は流れ、16世紀にはアルノルフォの未完ファサードを撤去し、新しいファサードを建設しようということになったのです。
これからが長かった…!
(実は新しいファサードを造ろうという案は、15世紀のメディチ家当主ロレンツォ豪華王の時代からあったそうです)

◉16世紀メディチ出身の法王レオ10世がフィレンツェに帰国した際には「木造の臨時ファサード」が造られたそうです。
しかしこれは雨によって破壊されてしまいます。

さらにメディチ家の結婚式があるごとに、臨時のファサードが取り付けられました。
◉三代目のトスカーナ大公フェルディナンド1世とクリスティーナ・ディ・ロレーナの結婚
コジモ3世とマルゲリータ・ルイーザ・ドレアンズの結婚
フェルディナンド皇子とヴィオランテ・ディ・バヴィエラの結婚

大聖堂付属美術館には各時代に提案されたファサードのモデルが置かれています。
こちらは16世紀のブオンタレンティの案
facciata1

そして現在のファサード建設の前様子。壁に絵が描かれてファサードの代わりになっていました。
facciata2

現在のファサードは1887年に建設されます。
1864年の国際コンクールによって提出された43の設計図の中から、最終審査には4つの設計図が残り、そのうち2枚がエミリオ・デ・ファブリスのものでした。
ところがこのコンクールは一回無効になり、再び1866年に行われたコンクールでファブリスが勝利したのです。
ファブリスの設計図(こちらも大聖堂付属美術館で見れます)
ファブリス

工事は1876年に開始され、11年後の1887年に完成します。工事中にファブリスは亡くなり、ルイージ・デル・モーロが跡を継ぎますが、ファブリスの設計図を改案し、3つのクスピデ(屋上の尖塔状の飾り)無しで完成しました。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。