ポッジョ・ア・カイアーノ(14)ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の間

フィレンツェ市
03 /28 2014
フィレンツェ近郊のポッジョ・ア・カイアーノにあるメディチ家別荘を紹介するシリーズです。
同別荘は2013年よりユネスコから世界遺産に登録されました「メディチ別荘と庭園」のひとつです。

前回紹介しました「昼食の間」を中心において、左右に「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のアパルタメント」と「ミーラフィオーリのアパルタメント」と呼ばれる区画があります。
今回はイタリア統一時に最初のイタリア国王となったヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名がついた区画を紹介しましょう。
部屋は4つ
(1)歓迎の間 sala da ricevere
シュステルマンスによる4枚のメディチ家の肖像画が飾られています。
これはピッティ宮殿に飾られている同芸術家の肖像画シリーズの一部となります。

マリーア・マッダレーナ・ダウストリア
マリアマッダレーナ
神聖ローマ皇帝の家系に生まれ、トスカーナ大公コジモ2世の妻となります。子供を8人もうけ、そのうちフェルディナンド2世がトスカーナ大公に。

フェルディナンド2世
フェルディナンド2
コジモ2世がフェルディナンドが11歳の時に病死したため、幼くしてトスカーナ大公となります。彼が成人するまで彼の母親が摂政となっていました。
温和で友好的な性格で臣民から愛されたが、君主としてはあまり有能ではなく、トスカーナ大公国は衰えていきます。
科学者・美術家のパトロンであり、末弟レオポルド枢機卿とともに科学アカデミーの組織アカデミア・デル・チメントを設立します。アカデミーのメンバーはガリレオの弟子たちを含み、温度計の製作や真空の実験をおこないました。

ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレ
ヴィットーリア
ウルビーノ公国で生まれ、敬虔なカトリック教徒として育ちました。
従兄フェルディナンド2世と結婚、母国のウルビーノ公国は教皇領に吸収され、世襲はなりませんでした。メディチ家はデッラ・ローヴェレ家の豊富な芸術コレクションを受け継ぎ、これらは現在ウフィツィ美術館やピッティ宮殿で見ることができます。
長男コジモの教育を巡って、近代的な教育をしたい夫フェルディナンドと対立、ヴィットーリアが厳格なカトリック教育を少年に強いました。フェルディナンドとヴィットーリアの結婚生活は不幸で、長年の別居生活をしていました。

コジモ3世
コジモ3
メディチ家出身の第6代トスカーナ大公で、53年もの間、その地位にありました。ルイ14世の従姉妹のマルゲリータ・ルイーザと結婚します。
母親の影響で、キリスト教の信仰のみに力を入れ、反ユダヤ的な政策や異端の取り締まりを強化、政治の方には興味はなく、芸術・学問のパトロンでもありませんでした。彼の治世にトスカーナ大公国の力はすっかり衰え、市民は困窮し、2度の飢饉さえ起きるほどでした。
妻とは不仲で、放蕩な妻は結婚後13年でフランスへ帰ってしまいます。不仲ながらも3人の子供達がいたのですが、いずれも跡継ぎが出来なかったため、メディチ家は途絶えました。

その他の家具はトリノのサヴォイア家宮殿から移されたネオロココ様式のものです。サヴォイア時代には壁には布地で飾られ、ネオクラッシックの装飾(ナポレオンの妹、エリーザ・バチョッキの時代のもの)を隠していました。

(2)ベッドルーム
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の希望によりシンプルで機能的な部屋になりました。家具はサヴォイア家の様々な他の宮殿から集められたものです。
この部屋も、ネオクラッシックの壁が布地に覆われ隠されていました。国王が田舎の生活で狩猟に後に身体を休める場所として使われていました。

(3)衣装部屋
19世紀中頃の家具の中に衣装や食器などが収容されていました。

(4)書斎
ピアチェンツァやトリノにあるサヴォイア家宮殿から運ばれてきた家具があります。
書斎
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。