コジモが愛した彫刻家ドナテッロ

S.マリアノヴェッラ地区
04 /03 2014
ミケランジェロよりも前の世代でフィレンツェで最も活躍した彫刻家はドナテッロでした。
ただしミケランジェロが生まれる10年前にドナテッロが亡くなっているので、二人がフィレンツェの町ですれ違う機会はありませんでした。

ウッフィツィ美術館中庭のドナテッロの像
ドナテッロ
そしてドナテッロはフィレンツェの実権を握っていたメディチ家の当主コジモと、同時代の人間になります。

コジモの肖像画(ポントルモ作 ウッフィツィ美術館所有)
コジモ
コジモが亡くなったのが1464年、彫刻家はその2年後に亡くなります。
ヴァザーリによれば、二人は実に50年以上にもおよぶ知り合いでした。長い時間をかけて二人は友情と評価を互いに育てていったと言われます。
梳工職人の息子として生まれたドナテッロが、コジモのような裕福で力のある人物に引き立てられていたことは、15世紀のフィレンツェでの大きな社会的成功を意味しています。

不思議なことにコジモやメディチ家からドナテッロが作品の依頼を請けたという資料は残っていません。
しかし多くのドナテッロの彫刻作品がメディチ家の菩提寺であるサンロレンツォ教会を飾っていることから、彼がメディチ家の文芸保護の翼下にあったことは間違いありません。

死の床でコジモはドナテッロのことを思い浮かべ、カファッジョーロの田舎の土地をドナテッロに遺産として残したそうです。ところが田舎の生活には興味の無かったドナテッロはこれを返上し、コジモの息子のピエロは代わりに生涯年金を週ごとにドナテッロに渡すことにしたとか。

コジモの墓石はサンロレンツォ教会の主祭壇の真正面にあります。
コジモの墓
このような場所を占拠していること自体が、コジモの権力、そしてメディチ家とサンロレンツォ教会の深い繋がりを表します。
実はこの墓石の下にはクリプタ(地下祭室)の柱があります。コジモの墓はその柱の中にあるのです。

クリプタに行くには一回サンロレンツォ教会の外に出て、教会正面左手から教会の中庭に入りましょう。現在、教会のチケット売り場になっているところです。つきあたりに地下祭室への入り口があります。

そして地下祭室にはドナテッロの墓もあるのです。
これはコジモが遺言で「ドナテッロが亡くなったら、自分の墓の近くに埋葬するように」と残していたからなんだそうです。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。