フィレンツェ・エトルスカは存在したのか?

ちょっとかじる歴史の話
04 /13 2014
古代ローマよりも昔にイタリア中部に都市連合をつくったエトルリア人。
フィレンツェにはエトルリア人の時代に町があったのでしょうか?

こちらはポプロニアにあるエトルリア人のネクロポリス(古墳、共同墓地)
ポプロニア

19世紀まで、多くの人がフィレンツェにはエトルリア人の町があったと信じていました。
しかし現代では多くの学者によって
「エトルリアの時代、フィレンツェには現代のヴェッキオ橋のあたりに木製の橋があり、おそらくアルノ河沿いに港があっただけ」と考えられています。
アルノ河を渡るのに一番適したポイントが、この位置だったからです。
ここで岩が川のほうに張り出していて、川が一部がせき止められ、小さな湖ができていたと考えられています。

フィレンツェが生まれたのは、エトルリアより後、紀元前59年のローマ帝国時代。
カッシア街道の伸びる方向に、町の中心軸となる通り(南〜北の軸である「カルド」)がつくられます。

これを軸に四角いカストラ(castrum)が建設されました。
カストラおよびカストルムは、古代ローマにおいて軍事防衛拠点または野営地として使用された場所や、建設された建物群のことです。
castrumは「大規模な野営地」「要塞」という意味で、似ている名前のカステッルム (castellum) は「小規模な砦」という意味なので、区別して考えられます。

話がずれましたが、フィレンツェのカストラは城壁の一辺450m、城壁全長1800m、城壁の中の面積は30ヘクタールでした。ごくごく小さい町だったんですね。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。