ブルネッロの町モンタルチーノ

シエナ県
04 /30 2014
モンタルチーノはトスカーナ州シエナ県にある、人口5000人ほどの小さな町です。
赤ワイン、ブルネッロ・ダ・モンタルチーノの生産地として有名です。町はアミアータ山の西北に位置し、オルチャ渓谷の端にあたります。シエナ県とグロッセート県の県境でもあります。丘の上という立地条件のおかげで、主要な通りからオンブローネやアッソの谷を見下ろすことが出来ます。

町がある丘にはエトルリアの時代から人間が住んでていたと言われます。
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モンタルチーノの町の記録で一番古いものは9世紀に遡ります。
町の名前の由来には2つの説があって、神聖ローマ帝国皇帝によりMons Lucinusの領地として9世紀に確認されたところから来ているという説。この山の名前は女神Lucinaから、あるいはラテン語lucus(聖なる森)から来ています。
あるいはMons Ilcinus(monte dei lecci トキワガシの山)という言葉から由来するという説です。トキワガシはこの一帯によく見られる樹木で、町の有力な家の家紋にも使われています。

10世紀 現在の町の中心部が建設されます。この時期に町の人口が増えていきました。
~14世紀 現在の町の大きさまで拡張していきます。

中世の時代の主な産業は革のなめしで、多くの革の工房がありました。
古いフランチェジーナ街道沿いの町として栄え、中世の時代には他の多くのトスカーナ地方の都市と同じように、都市国家として独立していました。しかし次第にシエナ共和国が力を伸ばしていきます。
1260年のシエナ対フィレンツェの有名なモンタペルティの戦いのころから、モンタルチーノはシエナの衛星都市として戦争に巻き込まれていきます。
さらに多くのイタリアの都市と同じように、ギベッリーニ対グエルフィの戦いが起きます。

1555年 シエナがフィレンツェの支配下に入ると、シエナから逃げてきた多くの貴族が4年ほどモンタルチーノの町に篭城します。シエナ政府をモンタルチーノに移し、共和国再生を願ったのです。しかし町はトスカーナ大公国に編入され、1861年イタリア統一の年まで、その支配下にありました。
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▲城壁と要塞
城壁は13世紀の建築。要塞は町の一番高い場所に1361年に築かれました。
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5角形をしていて、シエナの建築家ミーノ・フォレーズィによって設計されました。以前からあった聖マルティーニ要塞とサンジョバンニの塔などを吸収する形で建設されたものです。
中庭にエノテカがあるのですが、そこで入場料を払うと、要塞の上に登ることができます。町を一望することができるポイントです。

▲ドゥオーモ
古い教区教会ピエーヴェ・ディ・サン・サルバトーレ(11世紀)があった場所に15世紀に建築されました。
教会は19世紀に解体され、アゴスティーノ・ファンタスティチの設計でネオクラシック様式に再建築されました。
鐘楼は18世紀のものです。
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教会内部にはシエナの16世紀の画家フランチェスコ・ヴァンニの作品があります。
「無現在の御宿りとイエスと父なる神」
モンタルチーノ
画家の若い時代の作品です。ヴァンニはフェデリコ・バロッチの影響を受けています。
正面の祭壇には同じ画家の「砂漠の洗礼者ヨハネ」もあります。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。