破壊を免れたサン・サルヴィ教会

フィレンツェ市
05 /03 2014
フィレンツェの城壁の外に位置していた最も重要な教区教会(pieve)の一つである、サン・サルヴィ教会についてまとめます。
サンサルヴィ1
この教会は横に「サン・サルヴィの最後の晩餐美術館(アンドレア・デル・サルトの最後の晩餐美術館とも)」があることで有名です。町の中心から離れていますが、最後の晩餐以外にも多くの美術品を展示している美術館です。特にマニエリズム時代のコレクションとなります。

サン・サルヴィ教会は、ジョヴァンニ・グアルベルトが創設した大修道院の教会として、1048年ごろに建設されます。
それ以前は、田園地方の祈禱所でした。
サン・サルヴィとは、7世紀のアミアン地方の司教の名で、この地にその姿が出現した奇跡に由来しています。教会は大天使ミカエルに捧げられていて、いっぽう修道院はサン・サルヴィに捧げられています。なので教会の正式名称は「La chiesa di San Michele in San Salvi」となります。
修道院はベネディクト修道会の僧侶たちの最初の共同体のひとつでした。

サン・サルヴィは巡礼の休憩所として重要な役割を持ち、グアルベルトが聖職売買を犯した司教を追放する運動の拠点としていました。

教会建築はラテン十字の構成を今も保っていて、長軸は東西に伸びています。内部は単廊式。後陣は四角く、屋根は小屋組み(capriata)です。外部内部ともにシンプル。それでも14世紀のフレスコ画が残っていることから、修道会の豊かさがかいま見れます。フレスコ画の上には1966年のフィレンツェ大洪水の被害の跡も見られます。

16世紀には改築され、食堂や洗手室、台所など、現在美術館となっている部分が建築されました。この時に有名なアンドレア・デル・サルトのフレスコ画も描かれたのです。
フレスコ画は1526年に制作されました。その後1529〜1530年の神聖ローマ皇帝軍によるフィレンツェ制圧時に、教会修道院ともに被害を受けますが、この時に城壁外で唯一、完全な破壊を逃れた教会でもありました。
敵軍の攻撃からだけではなく、フィレンツェ共和国軍が敵軍に宿泊地として利用されないために教会を破壊する可能性もあったのです。
両軍が破壊しなかったのは、一重にサルトのフレスコ画の美しさゆえであったと言われます。

中庭にある作品
●ロレンツォ・ディ・ビッチの壁から剥がされたフレスコ画パネル「聖母子」
●ベネデット・ダ・ロヴェッツァーノの浮き彫り「サン・サルヴィとサン・ミケーレ」
サンサルヴィ2


ちなみにウッフィツィ美術館に展示されている「イエスの洗礼」(ヴェロッキオ、レオナルド、ボッティチェッリ共作)は、もともとこの教会が所有していた作品です。
イエスの洗礼
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。