プラートのドゥオーモ(4)聖なる帯の礼拝堂

その他のトスカーナ地方
05 /10 2014
フィレンツェの隣町プラートのドゥオーモを紹介するシリーズです。
今日は町のシンボルでもある「聖なる帯」が祀ってある礼拝堂を紹介します。
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La Cappella del Sacro Cingolo(聖なる帯の礼拝堂)は、プラートの町で最も神聖な場所と言われています。
大聖堂の入り口すぐ左横に位置しています。
「聖なる帯」は聖母マリアが昇天の証拠として、自分の帯を聖トマスに渡したもの。プラートに12世紀から伝わる聖遺物です。

礼拝堂は聖母マリアと聖なる帯の物語のフレスコ画で装飾されています。14世紀にジョット派のアニョーロ・ガッディによって描かれた作品で、フレスコ画の技術を完璧に習得した画家の輝く色彩で構成されています。左にプラートの町の情景と、町に帯をもたらしたミケーレという人物の町への帰還の物語が表現されています。

18世紀のエレガントな祭壇はエミリオ・グレコの浮き彫りで飾られ、この中に「聖なる帯」が保存されています。
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大理石の聖母子像は14世紀のジョヴァンニ・ピサーノの作品、母に王冠を与えるイエス、見つめ合う視線に、二人の会話が聞こえてくるかのようです。

礼拝堂はエレガントなブロンズの柵によって閉ざされています。マーゾ・ディ・バルトロメーオのルネッサンス時代の傑作です。

伝説によれば「聖なる帯」は聖母によって、昇天のその瞬間に聖トマスに与えられました。聖母の慈愛のシンボルです。
トマスはインドへ旅立つ前に、これを1人の司祭に預けます。この時から「聖なる帯」は、人の手から手に渡り、最後にプラート人のミケーレ・ダゴマーリがイエルサレムに滞在中に入手しました。彼はこの帯を持っていた司祭の娘と結婚しました。
同年に彼は聖遺物を持って、プラートに帰還します。帯を長い木の収納箱に入れ、その上に眠って盗まれないように気をつけていました。彼は死ぬ時になって、町の司法官に秘密を打ち明け帯を託しました。
素晴らしい式典が行われ、「帯」はドゥオーモの中に保存されることになります。この時から、大聖堂は「帯」の名声に叶う大きな教会へと改築を重ねていくのです。
以前は主祭壇にありましたが、14世紀にピストイア人が帯を盗もうとした事件から、現在の礼拝堂が建設されその中に保存されるようになったのです。
伝説によれば、ピストイア人ランデットは聖なる帯をまんまと盗んだ後、プラートの町を出ることに成功します。ところが霧のために野を彷徨い、出発点に戻ってしまいます。ピストイアにたどり着いたと勘違いしたランデットは、「門を開けてくれ、ピストイアの人々よ!プラート人の帯を持ってきたぞ!」と叫んでしまったのです。
捕らえられたランデットは有罪となり右手を切られてしまいます。さらにロバの背にのせられビゼンツィオ川のほとりまで連れて行かれ火あぶりの刑になったそうです。

聖なる帯のおかげでプラートの町は多くの巡礼者が訪れ、町の経済が繁栄しました。

礼拝堂の天井
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今も大聖堂を訪れると、いつも市民の誰かがこの礼拝堂にむかってお祈りをあげている姿を目にします。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。