プラート大聖堂美術館(2)聖なる帯の説教壇

その他のトスカーナ地方
05 /12 2014
プラート大聖堂の正面右にある説教壇はドナテッロとミケロッツォの共作です。1428〜1438年の頃に制作されました。大理石とブロンズとガラスモザイクでできています。
プルピト外部
大聖堂正面の右角に設置されていますが、大理石部分とブロンズ部分はコピーで、本物はドゥオーモ付属美術館に展示されています。
プルピト

教会地区教会を現在の大きなドゥオーモへと増築する工事は1385年に始まりました。これには新しいファサードと「聖なる帯」の礼拝堂の建築も含まれていました。「聖なる帯」を顕示する説教壇の建築はドナテッロとミケロッツォに依頼されます。二人はフィレンツェ支配者であったメディチ家の当主コジモのお気に入りの芸術家たちです。新しい説教壇はそれまであった14世紀の説教壇にとって代わりました(古い説教壇もドゥオーモ付属美術館に展示されています)

二人の芸術家は1428年に説教壇のモデルを提出しました。特に建築の部分はミケロッツォの手に、浮き彫りと装飾はドナテッロの手によるものです。
しかし作業はゆっくりと進みます。二人はあまりにも人気のある芸術家で、他の作品の制作も行っていたためです。建築部分が終わったのが1433年、これもローマで作業していた二人をコジモが呼び戻すことに成功したからでした。ローマから帰還してすぐに、ブロンズの柱頭が鋳造されます。これはドナテッロのデザインにより、ミケロッツォとマーゾ・ディ・バルトロメーオが制作しました。
プルピト3
マーゾは続いて説教壇と洗練された天蓋の設置を担当します。

1438年にドナテッロは完成した浮き彫りを納入し、完成にいたります。この時期ドナテッロはフィレンツェのカントーリア(聖歌隊壇)も制作していて、両方に同じようなプットーが踊るモチーフが使われています。

説教壇は500年もの間、外部にありましたが大理石部分の風化が激しく、1970年にはこの部分だけ石膏のコピーに替えられます。こうしてオリジナルの浮き彫りは美術館へと移されました。
1995年からフィレンツェの貴石加工所が修復を担当し、1999年に終了します。こうして気温湿度ともに制御された美術館の部屋に、新しい支えの仕組みをもって展示されることになりました。

この説教壇は「聖なる帯を顕示する」という目的のためだけに制作されたものです。なるべく多くの民衆がこれを見ることができるように、教会の角に設置され、その前の広場も大きく整備されました。

浮き彫りは7つのパネルに別れていますが、教会の壁に近い部分は浅い彫りで、中央部分に近づくにしたがって彫りが深くなります。
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浮き彫りの陽気な子供たちのダンスの様子は「聖なる帯」の顕示に対する晴れやかな喜びを表現しています。
子供たちの背景はモザイクの破片で装飾されているため、光を反射し、子供たちにより動きを出します(このモザイクの使い方も、上記のフィレンツェのカントーリアに見られるものです)
しかし子供たちの様子は「キリスト教」的ではなく、「古代」的な彫刻の面影で、ドナテッロのこの時期の作風の特徴になっています。

参照
MUSEI DIOCESANI PRATO, MUSEO DELL'OPERA DEL DUOMO CLAUDIO CERRETELLI : CLAUDIO MARTINI EDITORE 2012
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。