プラート散策(1)皇帝の城

その他のトスカーナ地方
05 /15 2014
フィレンツェの隣町プラートを紹介するシリーズです。
ドゥオーモやドゥオーモ付属美術館を見てきましたので、これからプラートの町の他の建築物をまとめていきます。

「Il castello dell'Imperatore 皇帝の城」は、プラートのカルチェリ広場に位置します。サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会の横です。ホーエンシュタウフェン王朝の城ではもっとも北にある城です。フリードリヒ2世(伊語 フェデリコ2世)によって13世紀に建築されました。
皇帝の城1
フリードリヒ2世は神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝の皇帝であり、シチリア王でもありました。
学問と芸術を好んだことから、「王座上の最初の近代人」呼ばれ、中世で最も進歩的な君主でした。
彼は教皇庁や北イタリアの都市国家と対立し、ローマ教皇から2回の破門を受けています。治世をイタリア統一のために費やしましたが、教皇庁と都市国家の抵抗によって夢叶うこと無く、イタリアに重点を置いた政策でドイツに混乱をもたらしました。

「皇帝の城」は1240年から、皇帝の居城としてつくられた建築でした。
アルベルティ家の城塞の跡に建てられたため、2つの塔など、その一部を残しています。塔は18世紀の時代まで、現在の倍の高さを持っていました。これはプラートの町のもととなったCastrum Prati(プラーティ城塞)があった場所でもあり、プラートの町の2番目の市壁(12世紀)に接していました。そのため一部は堀によって囲まれています。また牢屋と繋がっていたことから広場や横の教会にdelle carceri(牢獄の)という名前が付いています。
皇帝の城2
しかし工事は1250年に中断してしまいます。
14世紀のフィレンツェ共和国支配下では、城は3番面の市壁と閉ざされた廊下Corridore del Cassero(城の廊下)で繋がれていました。こうしてフィレンツェ軍は町の外から安全に町内部に入ることができたのです。フィレンツェ共和国の支配のシンボルでもあったのでしょう。

世紀を経て、いくつかの家が城塞の内部に建設されました。ファシズムの時代にそれらを取り壊し、城が現在の状態になりました。今はそびえ立つ城壁だけで、中には何もありません。
中部〜北部イタリアに残る唯一のホーエンシュタウフェン王朝の建築となっています。

「皇帝の城」はプラート市が管理していて、集会や文化的イベント会場として使われています。夏は野外映画館としても使われます。
皇帝の城3

参照
TOSCANA, Touring Club Italiano, 1995 ISBAN 88-365-0805-7
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。