フリーニョの最後の晩餐

フィレンツェ市
09 /18 2014
フリーニョ修道院の食堂の大きなルネッタには最後の晩餐が描かれています。
フィレンツェでは修道院の食堂の壁に「最後の晩餐」を描いた例が多く見られます。
cenacolo do pergino1
ネーリ・ディ・ビッチというフィレンツェの画家が1462年にフレスコ画でこの食堂を装飾したという記録が残っています。しかしその作品の断片はまったく残っていません。
ビッチよりも有名であったペルジーノが、当時の「モダン」な様式で最後の晩餐でこの食堂を飾りなおしたためです(ビッチはどちらかというとその前時代のゴシック様式を残した作風でした)

最後の晩餐の周りは石を真似ただまし絵的な装飾と、フランチェスコ修道会の聖人の頭部で縁取られています。中央上部には聖フランチェスコの頭があります。

場面中央には「最後の晩餐」が大画面を占めていて、テーブル中央にはイエス、そのとなりではお気に入りの弟子である聖ヨハネが頭をテーブルにもたせかけています。他の弟子たちも出来事の悲劇に参加しており、足乗せ台に彼らの名前がそれぞれ記されています。
テーブルのこちら側には1人ユダが腰掛けていて、テーブルの下に裏切りの行為の報酬が入った袋を隠しています。
cenacolo di pergino2
これらの人物の配置はフィレンツェの「最後の晩餐」の伝統に従ったものですが、回廊の風景から離れ、アーチの向こうには「菜園の祈り」の場面が描かれています。

このフレスコ画の記録は、修道院のクラウズーラ(修道院への俗人の立ち入り禁止制度)が原因で全く残っていませんでしたので、近代までは存在さえも知られていませんでした。
そこで修道院が廃止されフレスコ画が再び発見された当時は、ラファエロの作品ではないかと考えられていました。
その後、ラファエロの師匠であるペルジーノに関連した、彼の工房作品ではないかと再考されました。
構成などは師匠の手により、実際の作成にはペルジーノの何人かの弟子の手が入っているものと考えられるようになったのです。
さらに2005年の研究では、ペルジーノ自身の手によるものとされました。
1480年代のペルジーノがフィレンツェもっとも活躍していた時期の作品と考えられています。メディチ家の注文である可能性もあります。

この日記でも他の「最後の晩餐」について書いてきました。「最後の晩餐」巡りができるぐらい、フィレンツェにはあちらこちらの修道院にこの場面が残されています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。