フィレンツェのペルジーノ

芸術を読み解く
09 /21 2014
ラファエロの師匠であるペルジーノの本名はピエトロ・ヴァンヌッチ。ペルジーノ(ペルージャ人)という名前はウンブリア地方のペルージャからきています。
芸術家は特定の土地で活躍することが多かった時代、ペルジーノは最初にイタリア都市国家の国境を越えて活躍した人物でした。依頼がある土地に赴き、彼の活動の跡を残していったのです。

1450年頃にピエーヴェの町で生まれ、ペルージャで修行したあとフィレンツェを第二の故郷とします。
アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房にて自分の作風を確率し、1472年には画家の同業者組合に名前を連ねています。
ローマでシスティーナ礼拝堂の装飾に携わった後、フィレンツェに工房を開きました。この時期、建築家ルカ・ファンチェッリの娘キアラと結婚し、5人の子供をもうけました。

こうしてフィレンツェ市民として腰を落ち着けたペルジーノは、フィレンツェの町の歴史的イベント「ドゥオーモのファサード(正面部分)プロジェクトの審判」「ミケランジェロのダビデ像の設置委員会」などに参加します。
1490年代、彼のフィレンツェ美術界での位置は比較的安定していて、フィレンツェの修道院や貴族などからの注文を立て続けに請けています。

ペルジーノ作「少年の肖像」ウッフィツィ美術館所蔵
ペルジーノ

しかしサンティッシマアンヌンツィアータの祭壇画が失敗に終わったことから、25年間運営した工房を捨て、フィレンツェを去ることになります。
その後はペルージャに戻り、ペルージャを中心とした地方で作品を制作しました。
最後は1523年にフォンティニャーノの地でペストのために亡くなりました。

甘やかでエレガントなその作風は、弟子のラファエロに多大な影響を与えたとされています。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。