メディチ家礼拝堂特別展2014「芸術と政治」メディチ最後の文化事業

ドゥオーモ地区
10 /06 2014
メディチ家礼拝堂の特別展をご紹介する第2弾です。
期限は2014年4月8日〜11月2日で題名が「art & politics」副題が「プファルツ選帝侯妃と、サンロレンツォにおけるメディチ後援のラストシーズン」となります。

建築家であり技術者であったフェルディナンド・ルッジェーリが、サン・ロレンツォ教会の改良のためにメディチ家に呼ばれます。この教会はメディチ・リッカルディ宮殿に近かったこともあり、メディチ家の菩提寺でした。
ルッジェーリは教会の主祭壇上のクーポラを覆う建築を提案します。クーポラの内側はヴィンチェンツォ・メウッチによって装飾されたばかりでした。

またメディチ最後の1人となったアンナマリアルイーザは教会後方の「君主の礼拝堂」の完成もルッジェーリに託しました。ルッジェーリが考え出したのは、フィレンツェ大聖堂のクーポラに似通った丸屋根でした。
cm9
結局、丸屋根の上の頂塔がない形で今にいたります。頂塔が完成していれば、さらにブルネレスキのクーポラに似た様子になっていたでしょう。

君主の礼拝堂の内部の設計案。
cm11
最終的には、19世紀のピエトロ・ベンベヌーティが天井にフレスコ画を描きました。

こちらは作者がわかっていない丸屋根の設計図。屋根に大きな開口部があります。
cm10

その昔ミケランジェロはサン・ロレンツォ教会のファサードを設計しながら建設の段階まで持っていくことができませんでした。
アンナマリアはイタリア人と外国人の建築家たちにこのファサードを完成させるよう依頼しましたが、結局この時も「計画案」で終わり、現代にいたるまで未完のままとなっています。

サン・ロレンツォ教会のファサードの一案
cm8
しかしアンナマリアは鐘楼だけは完成までもっていくことができました。

メディチ末期はかなり経済的に逼迫していたはずですが、直系が途絶える未来を知りながら、一族を祀ったサン・ロレンツォ教会と君主の礼拝堂を完成させようとしたアンナマリア。その心中はどのようなものだったのでしょうか。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。