メディチへのライバル心から建てられたストロッツィ宮殿

ドゥオーモ地区
11 /21 2014
今日はフィレンツェの高級店街トルナブオーニ通りに面したストロッツィ宮殿を紹介したいと思います。
ストロッツィ1
ストロッツィ宮殿はイタリアでもっとも美しいルネッサンス様式の宮殿の一つです。
メディチ家のライバルであった裕福な商人フィリッポ・ストロッツィの意図によって、この区画に以前建っていた15軒の建築を潰し、建設されました。

1434年にメディチのためにフィレンツェから追放されたストロッツィ家でしたが、ナポリで銀行家として成功したフィリッポは1466年にフィレンツェへの帰還を果たします。メディチ家への対抗心に燃えるフィリッポは土地を買い、フィレンツェで最も大きい宮殿の建設へとりかかります。

多くの他家の土地を買い取りましたが、中世の密接した住宅事情の中で真っすぐのラインを持った大きな住宅を建てるためには、ライバルのメディチ家のロレンツォ豪華王の協力がなければ不可能であったと言われます。

設計はジュリアーノ・ダ・サンガッロにより、1489年ごろに木造の宮殿模型が造られます(木造モデルは現在バルジェッロ美術館所蔵)
しかしヴァザーリは宮殿の初期設計はベネデット・ダ・マイアーノによるものとしています。ベネデットはロレンツォのお気に入りの芸術家でした。
建設が始まってわずか2年後の1491年にフィリッポが亡くなります。
最上階はイル・クロナカの愛称で呼ばれるシモーネ・デル・ポッライオーロにより、数回の建設中断を経た後、1538年にバッチョ・ダーニョロによって完成します。
1907年にストロッツィ家が途絶えるまで宮殿を所有していました。

ストロッツィ宮殿はフィリッポの意向によりメディチ宮殿より大きく建設されましたが、形はかなり似通っています。3階建ての外壁はブニャート仕上げ(荒削りの石で力強い印象)荒削りの意匠は一階から三階に移るにかけて段々となだらかにエレガントな意匠へと変化します。

ストロッツィ宮殿の2階は特別展の開示場。例えば2014年11月現在は「ピカソ展」が行われています。
一階の中庭には落ち着いた雰囲気でバールもあります。
ストロッツィ2
このバール、Wi-Fi Freeで長居しても大丈夫です。町の喧噪からなはれてちょっと一息つきたい時にどうぞ。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。