「ソフィーの世界」に学ぶ「聖アウグスティヌス」

フィレンツェ市
01 /16 2015
『ソフィーの世界』というノルウェーの高校の哲学教師ゴルデルが出版したファンタジー小説は、優れた哲学史の入門書であり、哲学と歴史を結びつける面白い本です。この本をもとに「聖アウグスティヌス(伊語 アゴスティーノ)」という教会博士についてまとめてみます。

フィレンツェ オニッサンティ教会 ボッティチェッリ作「聖アゴスティーノ」
agostino
アウグスティヌスは4世紀に北アフリカに生まれた、ラテン教父でした。ラテン教父とは、古代から中世初期(2〜8世紀ごろ)までラテン語で著述を行った神学者(神をはじめとする宗教概念についての理論的考察を行う学者)です。
のちにヒッポという町の司教になったことから「ヒッポのアウグスティヌス」と呼ばれることもあります。
カルタゴで弁論術を学んだアウグスティヌスは、一時期はマニ教の信者でしたが、セネカの哲学書を読み、また新プラトン主義を学びます。
マニ教 → 世界を「善と悪」というように2つに分ける
ストア派哲学 → 「善と悪」を区別することを否定
新プラトン派 → すべての存在は神に由来する

「悪の起源は何か?」ということにこだわったアウグスティヌスはマニ教から離れ、プラトンの哲学とキリスト教の教えがかなり一致していると考えにたどり着きます。

プラトンのイデア説 
自然の万物は時間が過ぎればこの世から無くなるが、イデア(型)によっていつまでも永遠不変である。(1人の人間が死んでも、人間の「イデア(型)」によって他の人間がつくられるので、人間の形は変わらない)
この世の全てに「型」があり、感覚世界の後ろに本当の世界「イデア界」がある。
私たちは感じるものについては曖昧な意見しか持てないが、理性で認識するものについてはたしかな知に達することができる。
人間の身体は感覚世界(肉体)とイデア(魂)からできていて、イデアは肉体が生まれるよりも先から存在している。

新プラトン派(特にプロティノスによって説かれる)
世界は「一者(神々しい光)=神」と「絶対の闇」の間にある。「闇」は「神(光)」から遠く離れて光が届かない場所である。魂は「光」に近い場所にあり、肉体(物質)は神の光の反射によってできる影(不確かなもの)である。そして魂と神が溶け合うような体験、これを「神秘体験」と呼ぶ。

さてアウグスティヌスはキリスト教徒であり、ギリシャの哲学も学んだわけですが、この両者にどうやって折り合いをつけたのでしょうか?「世界は神が造った」というキリスト教と、「世界はイデア(型)から造られている」というプラトン派を融合させるには…

「神が世界を造る前、神の考えの中にはイデアがあった」
こうしてイデア説はキリスト教と矛盾することなく取り込むことができたのです。ルネッサンス時代に新プラトン主義が受入れられたのも、このような地盤があったからなんですね。

これ以外にアウグスティヌスの主だった考えは次のものです。
「悪があるのは、そこに善なる神(光)がいないということ」
「神と世界の間には超えられない深淵がある。アダムとイブのせいで人間は罰を受けたが、神は一部の人が罰から救われるように定めた。私たちは救われる者のグループに入っていると確信できるような生き方をするべきである」

アウグスティヌスの有名な書『神の国』では次のように説かれます。
「歴史とは神の国と地上の国の闘いだ。この2つの国は、ひとりひとりの人間のなかで、どっちが力を握るか闘っている」

そして「神の国」は教会という組織と同じものにみなされるようになります。
「教会の外には救いはない」→「人間は神に慈悲にあずかるためには教会に行かなければならない」
この考えは16世紀に宗教改革があるまで続きます。

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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。