シエナ大聖堂 ピサーノの説教壇

シエナ県
02 /09 2015
シエナ大聖堂の説教壇はニコラ・ピサーノとその工房によって1265〜1268年に制作された作品です。
長い間、ニコラの息子のジョヴァンニ・ピサーノの作品と考えられていました。しかし近年に発見された文書から、ニコラが若いジョヴァンニやアルノルフォ・ディ・カンビオの協力のもとに制作したことがわかりました。
13世紀のイタリア彫刻の最も重要な作品の一つです。
シエナ説教壇1
最初は六角形のクーポラの下、右側に設置されましたが、1532年に現在の位置に移されます。ニコラ・ピサーノが取り付けた階段は今日では失われていて、16世紀にベルナルディーノ・ディ・ジャコモがつくった階段が残っています。

1260年にニコラ・ピサーノがピサの洗礼堂のためにつくった説教壇のスタイルを繰り返すスタイルです。
メインのパネルには次の場面が彫られています。

訪問と誕生
マギの礼拝
神殿奉献とエジプトへの逃避
幼児虐殺
磔刑
最後の審判(選ばれし者)
最後の審判(断罪されし者_

またパネルとパネルの間の角には、次の彫刻があります。

受胎告知の聖母
弟子の間の聖パオロ
聖母子
2人の天使
神秘のキリスト
4人の福音書記者のシンボル
審判者キリスト
受胎告知の天使

説教壇は9本のコリント式柱頭をもった円柱の上に乗っています。中央の円柱は八角形のベースを持ち、自由学芸の像と哲学の偶像が入っています。これらの偶像が教会の美術のモチーフとして最初に使われた例で、これらの学芸が人々を神に近づけるという意味があります。他の円柱の下にはライオンが施されています。
円柱は最初は大理石でしたが、14世紀に碧玉の柱に替えられてしまいました。

裏側の様子
シエナ説教壇2

ピサの説教壇に比べると、シエナの説教壇は構造の点で重要な違いがあります。
◉ベースが六角形ではなく、八角形であること。そのためパネルの数が増え、「幼児虐殺」と「最後の審判」が2枚に増えました(ピサの説教壇は「最後の審判」は1枚だけ)
◉パネルとパネルの間の角に人物像などが挿入されていること。
◉自由学芸、哲学、論理学などの像が挿入されていること。
◉ピサの説教壇よりも小さな人物像に溢れ、表現も生き生きしていて、古典的であったピサの作品に比べると人間臭くリアリズムに富んでいること。

ピサの説教壇は「古典風」、シエナの説教壇は「ゴシック」と評価されます。
ピサの作品は当地に残る古代の石棺の彫刻からインスピレーションを受けて制作され、シエナの作品は依頼主から感傷的でエネルギッシュな作品を注文されたため、このような違いが現れたものと考えられています。

参照 Le sculture del Duomo di Siena, a cura di Mario Lorenzoni, Silvana Editoriale, Milano, 2009.
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。