ポルティコ(柱廊)の町

エミリアロマーニャ州
07 /17 2015
ボローニャの町を特徴づけるのがポルティコ(柱廊、複数形でポルティチ)です。
建物の一階部分の屋根付きの空間がどこまでも続いています。
これだけ多くのポルティコを持っている町はボローニャの他にはありません。
ボローニャ2
全長はボローニャ旧市街のポルティコを合わせて38km
城壁の外の区画を合わせると53kmにも及ぶということです。

ポルティコが生まれたのは中世後期で、人口の急な増加の時期にあたります。ボローニャ大学に多くの学生と教師が集り、またコンタード(都市周辺領地)からの人口の流入がありました。

このため住居空間を新しく造る必要に迫られ、最初は建物上部を道路のほうに迫り出す形にしました。これはスポルティと呼ばれる木造の増築部分です。建物本体に差し込んだトラーヴィ(梁)によって支えられていました。
このスポルティが段々と大きなものになったため、それを支えるための円柱を建設するようになり、ポルティコができていったのです。

このようにいわば自然発生したポルティコでしたが、太陽の光や雨といった自然条件から道を守ることができ、その下で工房や店を開いたり、経済活動が行われるようになりました。

ポルティコの極端な増加は1288年のことです。
ボローニャ政府が新しい建築物には必ずポルティコを設けることを義務化しました。
またポルティコを持っていない建築物にも増築をすることを勧めたのです。
ポルティコのメンテナンスは建築物の所有者に任され、ポルティコの下の空間は公的空間とされました。
ボローニャの取り決めでは、その広さ高さ共に最低で7ピエディ(2,66m)とされました。これはその下を人間や馬車が通れるようにするためです。しかし貧しい区画では小さいサイズのポルティコが建設されていきました。
ボローニャ3

ポルティコの支柱は初期は木造でしたが、1568年の新しい取り決めではレンガか石で造ることになります。この法律にも関わらず、ボローニャの市内には今でも木造のポルティコが残っていて、その中には中世のものがあります。

参照 Wanda Bergamini, Nuovissima guida ai monumenti di Bologna, Bologna, Cappelli, 1986.
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。