アルキジンナーズィオ

エミリアロマーニャ州
08 /03 2015
アルキジンナーズィオはボローニャでも最も重要な建築物の一つです。
以前は古い大学の本部でしたが、現在はアルキジンナーズィオ市立図書館本部になっています。

「archi-」はギリシャ語で「最上位の」「主導権のある」を意味し、「ginnasio」は古代ギリシアの青年が集まって運動や討論をした錬成所や体育場のことを表します。

アルキジンナーズィオの建築は16世紀に行われます。マッジョーレ広場の区画が大幅な改築計画の一部でした。これは教皇の意向に沿ったもので、この時期に前回の日記で扱ったネプチューンの噴水も制作されます。

アルキジンナーズィオは法王ピオ4世が発注し、アントニオ・モランディによってプロジェクトが組まれます。
1562〜1563年の頃には、建築が終わりました。アルキジンナーズィオの目的は、それまで幾つかの場所にわかれて行われていた大学教育の科目をまとめる場所を作ることです。
この後アルキジンナーズィオは1563年から1803年までボローニャ大学「Studium bolognese」の本部として使われてきました。
アルキジンナーズィオ1
建物は2階建てで、中央にはロッジャに囲まれた中庭があります。
中庭の中央、入り口の正面にサンタ・マリア・デイ・ブルガリ礼拝堂があります。ブルガリ区に立っていた教会の名前から来ていますが、この地区には有名な法学者で中世イタリア語の語彙編集者ブルガリが住んでいました。彼の名前にちなんだ教会名です。

アルキジンナーズィオで最も有名な空間が解剖学室( il teatro anatomico)です。
アルキジンナーズィオ3
アンフィテアトロの形をした、解剖学を勉強するための空間で、1637年に建設されました。モミ材が使われ、天井は格天井、筋肉や血管などを学べる人形が設置されています。これらの人形は皮膚がない様子なので「gli spellati(皮が剥がれた)」と呼ばれます。人形は18世紀のエルコレ・レッリの作品です。
また古代から当時の著名な医者の像も並んでいます。入り口の右手にはヒポクラテスとガレノス(2世紀のギリシャの医者、四体液論の主張者)の像もあります。また反対側には「鼻」を手に持っている像がありますが、これはボローニャ出身の鼻整形術の先駆者タリアコッツィです。
1944年に米軍の爆撃により大きな被害を受けた後に、再建されました。

2階にはこれ以外にも、法律学Legisti(民法と教会法)の教室と、技芸Artisti (哲学、医学、数学、物理学、自然科学)の教室があります。

アルキジンナーズィオの天井には、この大学で学んだ学生の家紋がずらりと入っていて、外国からの留学生の名前も見られます。家紋は7000にも上り、幸運なことに、統一戦争の折も、上記の米軍の爆撃でも破壊されませんでした。
アルキジンナーズィオ2

1838年から、アルキジンナーズィオは市立図書館の本部となっています。歴史書、哲学書、文学書、政治学書、伝記、ボローニャ文化史などの書物とともに、35000冊の手稿やインキュナブラが保存されています。
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。