アラッツィの由来

芸術を読み解く
12 /06 2015
フィレンツェの市庁舎ヴェッキオ宮殿にて行われているタペストリー展「Il principe dei sogni(夢の王子)」(期間2015年9月16日〜2016年2月15日)を数日間にわたって紹介してきましたが、今日はタペストリー(伊語 アラッツィ)についてまとめてみました。

タペストリーは、壁に掛けて室内装飾に使う織物です。日本のつづれおりに当たる織り方で、ヨーロッパで最も盛んに生産されていた時期は中世末期です。

その構成は
横糸 表面に出てカラフルな模様や絵柄を創り出します。素材は羊毛(ウール)や木綿のほか、絹糸、金糸、銀糸
縦糸 完全に横糸に隠れて見えなくなります。横糸を支える骨組みです。素材は木綿の糸や亜麻(リンネル)の糸

制作には、まず厚紙にタペストリーの設計図(実物大の下絵)を名のある芸術家が描きます。そして織物職人がこれをひっくり返して模写をし、タペストリーを織っていきました。

ヨーロッパでタペストリーが作られ始めたのは、11世紀に十字軍が東方の産物として織物を持ち帰ってからです。
華やかな絨緞を靴で踏むのはもったいないと壁にかけたところ、部屋の装飾+断熱効果で重宝されるようになりました。生産地の中心はドイツ、スイス→フランス、ベルギー、オランダへと移っていきます。

14世紀〜15世紀にかけて、フランス北部のアラスが織物で栄えますが、イタリアでタペストリーのことをアラッツィと呼ぶのはこのアラスという地名からきています。

16世紀にはフランドルがヨーロッパのタペストリー生産の中心地となります。
ですからこの時代にフィレンツェのヴェッキオ宮殿を飾るタペストリー制作をする時、フランドル地方の職人たちが呼ばれてきたのです。絹織物や毛織物は国に富をもたらす重要な産業だったので、メディチ家のコジモ1世はトスカーナ大公国の産業にテコ入れしようと考えていたのかもしれませんね。

タペストリーの保存が難しいのは、壁に掛けたままだとその重さで破損する可能性があること、また太陽の光やライトで退色するためです。このためヴェッキオ宮殿の特別展のタペストリーも長い期間かけて修復され、展示場も薄暗くなっていました。

ちなみにヴェッキオ宮殿の有名な20枚のタペストリーのシリーズは、メディチ家の直系が途絶えた後も200人広間にありました。
1865年にイタリアの首都がトリノからフィレンツェに移された時、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世がピッティ宮殿に住むことになり、ヴェッキオ宮殿の20枚のうち10枚をこの宮殿に移したのです。そしてさらに首都がローマに移され、王も代わるとピッティ宮殿の10枚はローマのクイリナーレ宮殿に運ばれていきます。現在もこの10枚はクイリナーレ宮殿に保管され、フィレンツェの10枚と別れているのです。

この20枚がもとあった場所に一堂に会する特別展、貴重な機会です。
principe del s12
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。