シエナのサンジョヴァンニ洗礼堂

シエナ県
12 /23 2015
サンジョヴァンニ洗礼堂といえば、フィレンツェの洗礼堂が思い浮かびます。シエナの洗礼堂も同じ名前です。
洗礼者ヨハネの名前を洗礼堂につけるのは普通のことですが、シエナのライバル都市であったフィレンツェの守護聖人の名前を使うのはちょっと意外な気もします。
mattiniero di siena
1317年に大聖堂管理委員会がドゥオーモの後陣を増築する計画を立てました。
しかし大聖堂の奥はすでに崖の上、唯一の方法はその下に新しい建築を作って上の建築を支える構造にすることでした。
そこに新しい洗礼堂を作ることにしたのです。

建築は大聖堂管理委員会の主任で会ったカマイーノ・クレシェエンティーノ(ティーノ・ディ・カマイーノの父親)に任され、工事は3125年に終了します。

次の世紀にドナテッロやヤコポ・デッラ・クエルチャという第一線で活躍していた芸術家たちによって制作された洗礼盤が洗礼堂中央に設置されます。

またフレスコ画は「イル・ヴェッキエッタ」という名前で呼ばれたロレンツォ・ディ・ピエトロの作品で、天井全体に描かれています。15世紀のシエナ絵画の代表的な作品です。
battistero di siena2

左右のヴォールトには12人の使徒のうちの8人が表現されています。この部分はボローニャの画家によって描かれていて、年代もはっきりしていません。中央部分がイル・ヴェッキエッタの作品で、1450年に残りの4人の使徒を描きました。
他の部分も彼の作品で使徒信条(使徒信経とも)を表しています。

使徒信条はイタリア語ではArticoli del Credo
基本信条(正統的な教理を規定する信条)の一つで、信条とはキリストに対する自己の信仰を明白な言葉で言い表すことを基準化したものです。
カトリックの使徒信条(日本語訳)は

「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、
三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、
生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン」

これを12節に分け、12使徒がそれぞれの節を書いたという伝説があります。イル・ヴェッキエッタは12節を絵画で表現しました。
左に「神」「イエスキリスト」「受胎告知」「笞打ち」「黄泉への降下」「昇天」「最後の審判」「ペンテコステ」
右に「教会の寓意」「告解」「復活」「天国」

後陣はやはりヴェッキエッタによる「天使の間の栄光あるマドンナ」「受胎告知」「笞打ち」「カルヴァーリオへの道行」となります。

祭壇画は右がジュゼッペ・カターニの多翼祭壇画(19世紀)、左が近代の木製の彫刻、、主祭壇はアレッサンドロ・フランキの「イエスの洗礼」(20世紀)と近代の作品が飾ってあります。

また大理石像群はドゥオーモの正面から移設されたもので、いずれもジョヴァンニ・ピサーノの影響を受けた作品群です。

参照  Atlante dell'arte italiana
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。