カッポーニ礼拝堂

フィレンツェ市
01 /03 2016
サンタ・フェリチタ教会のバルバドーリ礼拝堂、名前改めカッポーニ礼拝堂は教会入ってすぐの右手にあります。
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ブルネレスキの重要な建築であるとともに、マニエリズムのポントルモの代表的な作品を鑑賞することができる空間になっています。

バルバドーリ家がブルネレスキに家族用の礼拝堂を依頼したのは1420年でした。次世代に様々な改築を経ているものの、彼が集中式平面を用いた最初の例の一つとして、貴重な建築なのです。

礼拝堂は聖母に捧げられていて、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会のように、おそらくコントロファッチャータ(建築正面壁の内側)に描かれていた「受胎告知」のフレスコ画を讃えるために建設されました。
サン・マルコ教会にも、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会でも、コントロファッチャータに受胎告知が描かれており、ポントルモは同じ位置に同じ題材の作品を残したのです。

礼拝堂は所有者が何回か変わり、1525年にカッポーニ家の所有となりました。
近くのバルディ通りに住んでいた当主のジーノはすでに40代、自分と家族の墓所を作りたいと考えていました。
そして礼拝堂を「受胎告知」ではなく「ピエタ(イエスの遺体を抱いて悲しむマリア像)」に奉献するようにテーマを変えました。その方が墓所にふさわしいからです。ポントルモに礼拝堂の修復と再装飾を依頼し、1526年にはGuillaume de Marcillatにステンドグラスを依頼します。

カッポーニがどうしてポントルモに依頼したのか明らかではありません。単に作風を好んだのか?それとも宗教改革に肯定的であった部分が共感を生んだのか?
宗教改革に肯定的であるという疑いが長い間ポントルモにネガティブな評価を与え、対抗宗教改革を支持するヴァザーリも、ポントルモがドイツ芸術を気に入りフィレンツェのマニエラから離れたと彼を批判していました。
そのためポントルモは自分の作品を完成まで誰も見せないように封鎖して作業を行いました。そして礼拝堂は完成の折に「フィレンツェ中から驚きを持って」披露されたそうです。


18世紀にカッポーニ家は色大理石の祭壇を設置し、礼拝堂周りに鉄柵を設置しました。この時にポントルモのトンド「聖母子」は、カッポーニ邸に移設されます。

この礼拝堂建築時は、ブルネレスキは捨て子養育院の建築も手がけ、またドゥオーモのクーポラが穹窿の支えなしに建築可能であることも証明している時期でした。このカッポーニ礼拝堂のクーポラもその証明に役に立ったかもしれません。
残念ながら当時のクーポラはのちに破壊され、現在のものは再築されたものです。

ステンドグラスのテーマは「イエスの墓所への運搬」です。
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作者のGuillaume de Marcillat di Verdunはイエスズ会が経営していたステンドグラス工房の創始者として有名です。オリジナルのステンドグラスは第二次世界大戦の時に破壊を恐れて、カッポーニ邸に移され、1997年にようやくコピーが設置されました。
マリア様とマグダラのマリアに見守られながら墓所に運ばれるイエス、その背景にはモノクロームで十字架降下が描かれています。
左右にはフレスコ画の受胎告知がありますが、ステンドグラスの場面を天使は神の輝きを見るように、聖母は息子の悲劇の未来を見ているかのような配置になっています。

ステンドグラスの下の肖像画は16世紀の聖人カルロ・ボッローメオです。
母方の伯父にあたる教皇ピウス4世に任命され22歳で枢機卿に、また1565年にはミラノ大司教となりました。
1576年にミラノがペストの流行の際に、ボッローメオは危険も出費も顧みず、患者の便宜を図り、死者の埋葬が行われるよう尽力しました。

参照 Marco Cianchi, La Cappella Capponi a Santa Felicita, in AA.VV., Cappelle del Rinascimento a Firenze, Editrice Giusti, Firenze 1998. ISBN 88-8200-017-6

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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。