サンマルコの画僧たち フラ・バルトロメオ

サンマルコ地区
01 /14 2016
フィレンツェのサンマルコ美術館はフラ・アンジェリコの作品で有名ですが、それ以外の画僧の作品も展示されています。今日はフラ・バルトロメオについてまとめたいと思います。

フラ・バルトロメオの本名は、バッチョ・デッラ・ポルタで1473年生まれ。ミケランジェロより2歳年上ということになりますね。

1483年頃 ベネデット・ダ・マイアーノの推薦状で、コジモ・ロッセッリの工房に入ります。ここでピエロ・ディ・コジモと知り合います。

1490年頃 マリオット・アルベルネッティと共に工房を出て、彼と協力をしながら仕事を請けていきます。

1495年 記録に残っている最初の作品はヴォルテッラ大聖堂のために描いた「受胎告知」です。この作品にはギルランダイオやレオナルドの明暗法の影響が見られます。

この時期、フィレンツェではサヴォナローラが市民の豪奢な生活を批判していました。法王までも批判したため、1497年に彼は破門されてしまいます。
バルトロメオはサヴォナローラから最も影響を受けた芸術家の1人です。「淫らな絵画」やネオプラトニズモの異教世界に反対するサヴォナローラ派の見解に沿って、バルトロメオは裸の男女が描かれた自作(おそらく素描)を破棄しました。

1498年頃 サンマルコ美術館の「サヴォナローラの肖像画」を描き、ドメニコ修道僧になります。この年にサヴォナローラは捕らえられ、シニョーリア広場で火あぶりの刑に処せられました。

1504年 若きラッファエッロがフィレンツェにやってきます。レオナルドとミケランジェロの作品を勉強するためでした。ここで地元の芸術家たちと交流するのですが、その中にバルトロメオもいました。
ヴァザーリによると、ラファエッロはバルトロメオに遠近法を教えたとされます。それ以外にも均整の取れた構図やエレガントな色はラッファエッロの影響です。
反対にラッファエッロは、バルトロメオの作品「最後の審判」に見られるモニュメンタルなポーズを学びます。
バルトロメオ
2人は互いに影響を与え合い、フィレンツェ時代のラファエッロを研究するときにはこの2人の関係が重要なポイントになっています。

1508年 バルトロメオはヴェネツィアに赴きます。ムラーノの殉教聖人ピエトロ教会のための作品を描くためでした。この機会にヴェネツィアのジョヴァンニ・ベッリーニやジョルジョーネの作品を研究します。こうしてヴェネツィア派の豊かな色彩に触れることができました。

1513年 ローマに赴き、現在バチカン所有の「聖ピエトロと聖パオロ」を描きました。神秘的でモニュメンタルな人物像、自然な風景を描くことに成功しています。またバチカンのミケランジェロとラッファエッロの作品に衝撃を受け、フィレンツェに戻ってから、革新的な作風からは離れ自分の作風に閉じこもる傾向になります。


1516年 フェッラーラにてアルフォンソ・デステからの依頼で「ヴィーナスの祝祭」という異教的な作品を描こうとします。彼の唯一の異教的なテーマを扱った作品ですが、素描だけが残っています。
▲Twitterの方でご質問いただきました。この素描作品は現在、ウッフィツィ美術館の所有です→Fra Bartolomeo e Tiziano, la Festa di Venere

1517年 ヴァザーリによれば、果物が大好きであったバルトロメオは無花果に消化不良を起こした後、4日間高熱に苦しみ亡くなったとされます。48歳でした。

彼の作風はフィレンツェでは次第に忘れられていき、一風変わったマニエリスムに取って代わられます。しかしその作風は地方の宗教画の中に生き続け、フラ・パオリーノなどの弟子によって対抗宗教改革時代の絵画の構成要素となるのです。

参照 Giorgio Vasari, Le vite de' più eccellenti pittori, scultori e architettori, Giunti, Firenze 1568

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。