フィレンツェの聖人司教アントニーノ

フィレンツェ市
01 /19 2016
フィレンツェの司教で聖人になった人物には、聖ザノービと聖アントニーノがいます。
聖アントニーノの本名はアントニーノ・ピエロッツィで、14世紀の終わりにフィレンツェで生まれました。
神学者にて大司教、文学者でもあった人物です。

ウッフィツィ美術館の中庭にある聖アントニーノの像
san antonino

公証人の息子として生まれたアントニーノは若い頃から瞑想を好みました。華奢で背が低く、修道僧の厳しい生活は向いていないように考えられましたが、知的素養がドメニコ修道会の僧侶たちを説得するのに役立ったと言われます。

1414年の頃にコルトーナで司祭職を得て、フィエーゾレ、フォリーニョと移動します。

フィレンツェに帰り、サン・マルコ修道院長となりますが、ちょうどこの時期にベアート・アンジェリコが同修道院のフレスコ画装飾の作業をしていました。

1446年にバルトロメオ・ザバレッラの跡を継いでフィレンツェ大司教の座に就きます。
トレント宗教会議改革の先駆者とも呼ばれ、信者への教育改革、教区の再編成などを行いました。
司教区、フィレンツェのコンタードの教会への訪問を欠かさず、非常に活動的であったとされます。

ベアート・アンジェリコの作品や多くの文献の中に、文化的素養に富み、深い博愛精神を持った人物として表現されています。
1459年にフィレンツェの北の丘、住居としていたモントゥーギ(カレッジの近く)にて亡くなりました。

サン・マルコ教会の中に展示されている聖遺物
san antonino2

アントニーノは、後にサン・マルコ修道院長となるサヴォナローラと違って原理主義者ではありませんでした。
反対にフィレンツェの人文主義文化に順応し、フィレンツェの街の福祉施設の充実に努めました。孤児養育院やサン・マルティーノ同心会(もともと豊かであった階級であったのが落ちぶれて貧しくなった人を救う組織)などの設立に尽力したのです。

彼が生まれた家はドゥオーモ広場にあり、Opera di Santa Maria del Fiore(大聖堂管理局)が所有しています。
彼の死の100年祭にて、ヨハネ23世がアントニーノを聖ザノービと並んでフィレンツェと司教区の守護聖人に指定しました。

参照 La chiesa fiorentina, Curia arcivescovile, Firenze 1970

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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。