正義の円柱

フィレンツェ市
01 /20 2016
メディチ家のコジモ1世がトスカーナ大公となった折に、その記念としてフィレンツェの街に3本の円柱が建てられることになりました。
◉正義の円柱(サンタ・トリニタ広場)
◉サン・フェリーチェの円柱
◉サン・マルコの円柱

この円柱を順番に見ていこうと思います。

正義の円柱はローマのカラカラ帝の浴場から運ばれてきたもので、法王ピオ4世からコジモ1世への贈り物でした。
カラカラ帝の浴場の遺跡では唯一、破損していない円柱でした。
モノリス(一本石)で高さ11,17mあります。重さは50トン。
正義
ローマから海路を使って1562〜63年にかけて運ばれてきました。
円柱運搬の責任者はジョルジョ・ヴァザーリで、このために船を建造したと考えられます。
海路ではトルコ船の攻撃を受けた記録も残っています。
リヴォルノの港からは船でアルノ川を遡り、シーニャまで。ここからはアンマンナーティが監督して陸路フィレンツェに到達しました。円柱がトリニタ広場に到達したのは、1年にも及ぶ旅の末だったそうです。
さらに広場に立てられるまで2年を必要とします。

円柱はコジモ1世のマルチャーノの戦いにおける対シエナ共和国軍の勝利を祝うものでした。
円柱が建っている場所でコジモはこの戦いの勝利報告を受けたのです。

1581年に円柱の頂上に「正義の像」が設置されました。
正義2
フランチェスコ・デル・タッダ(フランチェスコ・フェッルッチ)と息子のロモロの作品です。
タッダはヴァザーリとチェッリーニから古代の技術を習得し、ポルフィドなどの硬いマテリアルを使う彫刻作品に特化した人物となりました。
「正義の像」は高さ6ブラッチャ、ローマから運ばれてきたポルフィドの石6片と金属のボルトで組み立ててあります。硬いポルフィドを使った「正義の像」は彫るのに11年もの年月を要しました。
最初はブロンズ製のマントはつけない予定でしたが、完成した時に肩が身体に比べて小さすぎるという欠点が見つかり、これを補うためにつけ足されることになりました。

参照 ^ Gianluca Belli, Un monumento per Cosimo I de’ Medici. La colonna della giustizia a Firenze in "Annali di architettura", n. 16, 2004.

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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。