3回も首都になったラヴェンナ

エミリアロマーニャ州
03 /24 2016
ラヴェンナはエミリアロマーニャ州にある、人口16万人の都市です。一つの市の面積としてはローマに次いで2番目の大きさを持っています。

ラヴェンナはその歴史において、3回にわたって首都となりました。
402-476年 西ローマ帝国
493-553年 東ゴート王国
568-751年 ピザンチン帝国総督領(Esarcato bizantino)

輝かしい「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」は、1996年からユネスコの世界遺産に登録されています。
ラヴェンナ

アドリア海からは11kmの距離があり、海とはカンディアーノ運河によってつながれています。

ラヴェンナの町をどの民族が最初に建設したのか、明かにはなっていません。初期の街の成り立ちはヴェネツィアに似て、湿地帯の潟の中にある小島群上に家が建設されていました。

(ローマ帝国)
紀元前1世紀 共和制ローマの支配下に入ります。
紀元前49年 ユリウス・カエサルがルビコン川を横断する前に自分の軍をこの地で集結させました。
紀元前31年 アウグストゥス帝がラヴェンナに艦隊用軍港クラッシス(Classis)を築きます。この時からラヴェンナは重要な海港となります。
402年 押し寄せる異民族から逃れるため、ホノリウス帝が西ローマ帝国首都をローマからラヴェンナに移します。

476年 西ローマ帝国が滅亡。

(東ゴート王国)
493年 イタリア王オドアケル(西ローマ帝国の軍人にして帝国を滅ぼした)がラヴェンナの街に籠城し、2年の日に東ゴート王テオドリックに降伏。ラヴェンナが東ゴート王国の首都になります。
527年 ユスティニアヌス1世は東ローマ皇帝に即位。
535年 東ローマ帝国がイタリアに侵攻します。

(東ローマ帝国総督領)
540年 東ゴート王が降伏し、ラヴェンナはイタリアにおける東ローマ帝国政府の所在地となります。

(ロンゴバルド王国)
712年 ロンゴバルド王国がラヴェンナを占領。

751年 ラヴェンナ総督の戦死により、北イタリアでの東ローマ支配は完全に終わります。

(教皇領)
784年 フランク王国の小ピピンはロンゴバルド王国を攻撃、旧総督量の征服を完了して、土地を教皇に寄進したため、ラヴェンナも教皇領に含まれることになります。
12世紀 ラヴェンナ大司教は教皇庁の次にイタリアで2番目に裕福で、反皇帝のロマーニャ同盟を率いて戦いを仕掛けましたが、反対に教皇は同盟を従属させます。

13世紀 有力貴族と教皇が代わる代わるラヴェンナの支配権を争奪します。

(ヴェネツィア共和国〜教皇領)
15世紀〜16世紀 ラヴェンナはヴェネツィアの領土に併合されますが、その後再び教皇領に編入されます。それは18世紀まで続きました。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。