斬首されても歩いていった殉教聖人

フィレンツェ市
09 /30 2015
フィレンツェの町を一望できるミケランジェロ広場。その裏手の丘の上に立つ教会がサン・ミニアート・アル・モンテ教会です。ミケランジェロ広場とは微妙に違う視点でフィレンツェの町を観ることができます。
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ミケランジェロ広場より人も少ないので、ゆったりと町のパノラマを楽しむことができます。

この教会はトスカーナ地方のロマネスク様式の教会として、代表的な存在です。
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教会のファサード(正面部分)がこちら。建築は11世紀から始まりました。
白と緑の石を使った幾何学模様の象眼細工がトスカーナロマネスク様式の特徴で、古代ローマの建築からインスピレーションを受けています。
緑の石はフィレンツェの大聖堂にも使われていますが、隣町のプラートで採れる石なので「プラートの緑」と呼ばれます。
中央にある金色のモザイクは13世紀の作で「聖母マリア聖ミニアートの間のキリスト」がモチーフ。

2色の幾何学模様と金色モザイクと言えば、フィレンツェではもう一つ、サン・ジョバンニ洗礼堂にこれらのモチーフを見ることができます。2色の幾何学模様はさらにブルネレスキなどルネッサンス時代の芸術家に影響を与えました。

ファサードの頂点にはカリマーラ(毛織物を扱う商人の組合)のシンボルである「毛織物をかぎ爪に掴んだ鷹」の像が載っています。この組合が13世紀から教会の保存の責任を担っていました。

この教会はフィレンツェの殉教聖人である聖ミニアートに捧げられています。

聖ミニアートはギリシャ人の商人であったとか、ローマに巡礼の旅に出たアルメニア人の王子であったという説もあります。西暦250年のころにフィレンツェに着き隠棲していましたが、デキウス帝の迫害で首を刎ねられて亡くなります。
ところが切断された自分の首を持って立ち上がり、アルノ河を渡って丘を登った場所で息絶えたという伝説です。その場所に現在の教会が建っています。まずは8世紀に礼拝堂が、1013年に教会が建設されました。最初はベネディクト修道会所属でしたが、1373年にはオリヴェターニ修道会へと所属が移ります。今もこの修道会の僧侶たちが住んでいます。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。