リソルジメント時代の500人広間

シニョーリア広場地区
06 /05 2016
ヴェッキオ宮殿の500人広間。
サヴォナローラの時代に建設され、メディチ家のコジモ1世の時代に改築され、フレスコ画や天井画で装飾されました。
pv 500-1
今日はイタリア統一運動(リソルジメント)時代の500人広間の様子を見てみましょう。

1848年に革命の動きに合わせて、トスカーナ大公であったロレーヌ家のレオポルド2世はトスカーナ大公国の憲法制定を許しました。500人広間に最初のトスカーナ国会が招集されたのが1848年6月26日、国会議事堂になった広間は建築家ジュゼッペ・マルテッリが調度を整えました。
トスカーナ大公は謁見の台の中央に座って「王座のスピーチ」によって幕を開け、この民主主義システムは1年ちょっと続きます。

そして1859年、トスカーナ民衆の蜂起によって大公レオポルド2世はフィレンツェを離れます。8月16日にトスカーナ各地方の代表者が500人広間に集まり、ロレーヌ家の支配の終わりを告げ、サヴォイア国に合併することを決めます。再びマルテッリが1848年の調度品を使って広間を整えました。
pv 500-2

1865〜71年はフィレンツェが統一されたイタリアの首都であった時代です。
ヴェッキオ宮殿の500人広間には下院が置かれました。カルロ・ファルコニエーリによって木製のアンフィテアトロが広間に設置されます。このころにはジャンボローニャの「ピサに勝利するフィレンツェ像」とミケランジェロの「勝利像」が並んで置かれていました。(今は2つの像が向き合う形に戻されています)
1871年に首都はローマに移され、ここに展示されている議員席だけが残ったのです。
pv 500-3
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。