古代ギリシャの壺を鑑賞するツボ

フィレンツェ市
06 /25 2016
フィレンツェと近郊のフィエーゾレには考古学博物館があります。
双方ともに多くの陶器が展示されています。鑑賞時の参照になるように、聞きなれない容器の名前と絵付けスタイルに関して簡単にまとめてみました。

◉古代ギリシア陶器の用途は主に4つに分けられます。
❶貯蔵・輸送用の容器
❷混合容器
❸水差しと杯
❹油、香水、化粧品などの容器

◉器の種類
hydria ヒュドリア
古代ギリシャの水を運ぶための容器。また遺灰を入れたり、投票の時にも使われました。
hydria

balsamario バルサマーリオ
バルサム(芳香性樹脂)やエッセンスオイルの小さな容器。ガラス製の物が多いそうですが、フィエーゾレの博物館では陶器のものもあります。
bals

lekythos レキュトス
油の貯蔵に使われた陶器の一種で、特にオリーブ油を貯蔵しました。
ほっそりした形状で、首の部分に取っ手が1つ付いています。
また亡くなった未婚男性の遺体に油を塗布するのにも使われ、この場合は墓から出土します。
archeologico

cratere クラテーレ
ワインと水をミックスさせるために使った壺。宴会中に部屋の中央に置かれ、ワインが入れられていました。ここに水を追加することでアルコール度数を下げていたのです。形にはバリエーションがありますが、全て口が大きくなっています。
cratere

anfora アンフォラ
2つの持ち手と、胴体からすぼまって長く伸びる首を持つ陶器。
古代ギリシア・ローマで7世紀ごろまで、ブドウ、オリーブ・オイル、ワイン、植物油、オリーブ、穀物、魚、その他の必需品を運搬・保存するため、多目的で使われていました。
底部を尖った形に作ってあることが多いのですが、これは柔らかい地面に突き立てて真っ直ぐに保つためです。その場合は模様などの装飾が付いていないシンプルなものが多いようです。
アンフォラ

kalpis (hydriaの一種)カルピス
ヒュドリアと同じく水の運搬に使用。ヒュドラよりも丸い形で、肩の部分が目立たない、首と体が一体化した形です。3つの取っ手が付いていて、二つは胴体の部分に平行に(運搬のため)最後の一つは首のところに垂直に(水を注ぐため)付いていてるのが普通です。
カルピス

pelike ペリケ
液体の容器として使われました。口は広く、胴体の一番膨らんだ部分は足のすぐ上の部分です。垂直の取っ手が首の横に二つ付いています。
アテネでは紀元前6世紀から使われ、赤絵の絵付けがされていますが、一部に黒絵のものも見られます。
ペリケ

stamnos 
ギリシャで紀元前6世紀〜5世紀に(エトルリアでは4世紀まで)生産されました。
丸く、肩が大きく、首と足は低くなっています。蓋が付いているものもあり、液体保存に使われたものと考えられます。また宴会ではワインを混ぜるための容器でした。
黒絵の例もありますが多くは赤絵で装飾されています。
壺

brocca ブロッカ
液体の食品を容器(普通は水用)として使われました。陶器、ガラス、金属など様々なマテリアルが使われています。
ブロッカは一般的な液体用の容器の呼び名で、現在も使われている名です。
ぶろっか

oinochoe オイノコエ
ブロッカによく似た水かワインを注ぐために使われた容器です。
形には多くのバリエーションがあり、マテリアルもテッラコッタから金属まであります。
胴体は丸く、取っ手は一つだけです。4分の1から、1リットルの液体を入れる大きさの種類があります。
オイノチョエ

guttus グットゥス
遺体に塗布する油を入れる容器。

epichysis エピキュシス
ブロッカの小さなタイプ。

askos アスコス
少量の油性液体を注いだり、ランプの油を継ぎ足すのに使用されました。
平べったく丸い形で、高さよりも幅があります。注ぎ口は一つか二つ。油性の液体を注ぐのに適した形になっています。
アスコス


◉古代ギリシャ絵付けスタイルの時代区分
原幾何学様式(紀元前11世紀〜紀元前10世紀)
幾何学模様を、コンパスや様々なブラシを使い分けて、慎重かつ器用に図形を配置します。
絵付け1
  ↓
幾何学様式(紀元前9世紀〜紀元前8世紀)
黒い上薬を多用して抽象的模様だけ描く様式から、人物や動物の姿と思われる装飾と帯状の幾何学模様を組み合わせた様式へ移行します。空白を作らないように隙間を埋めるように模様で埋めていきます。
絵付け3
  ↓
東方化様式(紀元前8世紀〜紀元前7世紀)
小アジアの都市国家との貿易による繋がりで「高度に様式化+写実性」芸術がギリシャに影響を与えます。
絵付けの主題が多様化し、スフィンクス、グリフォン、ライオンを描いたり、帯状装飾に神話的ではない動物とハスや唐草の模様を並べます。人物像は比較的まれ。
絵付け2
  ↓
黒絵式(紀元前620年〜紀元前480年ごろ)
素焼きの明るい地に黒色を主とする装飾画が描かれます。焼く前に人物像などを黒色の平塗りで形をとり、細部は針で引っ掻いて白や赤線で描きます。エトルリアにもこの様式は広まっていました。
絵付け4
  ↓
赤絵式(紀元前6世紀末〜紀元前4世紀)
黒絵は背景以外を塗りつぶすわけですが、赤絵は反対に地を塗りつぶし、絵付けの部分だけを残します。塗り残した部分は焼くとと赤くなり、ここに筆で細部を直接描きこみます。黒絵より自由な表現ができ、様々な流派に発展していきます。
絵付け5

白地技法(紀元前6世紀末〜)
表面に顔料または白い粘土を塗って白くし、より多彩な彩色が可能に。
特に墓への供え物としてよく使われた小さいレキュトスに多く見られます。
絵付け6
  ↓
西斜面式(紀元前4世紀末〜紀元前1世紀)
ヘレニズム期の様式。アテナイのアクロポリスの西斜面で見つかりました。白い顔料で像を描き、背景は黒で、線刻で詳細を描きます。

参照 Itinerario nell'arte Zanichelli editore Bologna
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。