フィエーゾレの古代神殿

フィレンツェ市
06 /26 2016
フィレンツェ北のフィエーゾレの町には考古学地区があります。
エトルリア時代の城壁や神殿、ローマ帝国時代のテルメやテアトロが残っています。
今日はその中の神殿部分をご紹介します。

考古学地区の中でテルメの反対側、西側の斜面にあるのが神殿です。
神殿2
すでにローマ帝国時代に、テルメと神殿は道でつながっていました。

しかしローマ帝国以前に、ここには紀元前4世紀頃からエトルリア民族の神殿が建っていたのです。
エトルリア時代の名残は少ししか残っていませんが、その中にはゴルゴンの頭の形をした多彩のアンテフィックス(エトルリア、ギリシア、ローマの神殿の屋根の縁を庇護するためのテラコッタ)など貴重な建築装飾があります。

エトルリアの神殿は石造りで、ローマ帝国時代のものに比べると小ぶりで、シンプルなものでした。
3つの部屋からなり、中央の部屋には聖なる像を設置、左右の部屋は蔵のような役目がありました。
中央の部屋の壁は赤く装飾されていて、ここから出土したEx voto(捧げもの)は美術館に展示されています。
これらの部屋の前には円柱を並べた空間、そして階段があり、この階段は今も見ることができます。
神殿1

階段の前の広場には「いけにえ台」があります。現在のいけにえ台はローマ帝国時代のものです。
神殿3

屋根は二つのスロープを持ち、瓦に覆われ、ペンディメントは浮き彫りで装飾されていました。
この浮き彫りは「戦士の体」などの部分が少し残っているだけです。おそらく戦闘図であったのではないかと推測されています。
Ex votoの中に「ふくろう」の像があったことから、この神殿はミネルヴァに捧げられていたと考えられます。
エトルリアの神殿は紀元前1世紀の火事で破壊されました。もしかしたら紀元前90年のカトーネ指揮するローマ軍によるフィエーゾレ征服の折だったかもしれません。

すぐにローマ帝国の神殿がその場所に建設されます。
中央の部屋cella、左右にalaeという部屋が設置され、以前より大きな円柱回廊と階段も作られました。
その南側に大きな四角い部屋が建設され、巡礼者が泊まることができるようになりました。

ランゴバルド族の時代に神殿があった土地は大きな墓地となり、ここからランゴバルド族の遺骨が発見されています。

参照 「Fiesole Museo civico archeologico un secolo di bellezza」 edizioni Polistampa
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。