フィエーゾレの古代ローマ劇場

フィレンツェ市
06 /27 2016
フィレンツェ北のフィエーゾレの町には考古学地区があります。
エトルリア時代の城壁や神殿、ローマ帝国時代のテルメやテアトロが残っています。
今日はその中の劇場部分をご紹介します。
テアトロ3
建設は紀元前1世紀の終わりか、1世紀の前半となります。
町の城壁内の北部分に公共空間が設置され、ここに「エトルリアの町のローマ化」シンボルとしてテルメとともに劇場が建設されました。
建設に使われた石は、のちに劇場ののcavea(観客席)となる斜面から採石されたものです。観客席は幅34mあります。
テアトロ1
caveaの後方の、crypta(ヴォールトで覆われた屋根付き空間)から劇場に入るようになっていました。
クリプタの上にはモニュメンタルな回廊があったと推測されます。
観客席は右側がオリジナルで、左側は19世紀終わりに再構築されたものです。
観客は狭い階段をたどって、席に流れていきました。

山の方から引いてきた水が流れる水路が、caveaorchestraを分けていました。
テアトロ2
orchestraの空間は古代ギリシャだと合唱隊席でしたが、古代ローマのテアトロだと大理石の豪華な席が設置され、著名人用の空間となっていました。フィエーゾレのorchestraの床にはモザイク装飾が施されていたそうです。

orchestraの奥にはproscenio(舞台)があり、ここで劇が行われます。
orchestraproscenioを区切る壁はpulpitumと呼ばれ、壁龕が設けられていました。

舞台の奥にはscaenae fronsfrontescenaとも)というテアトロと同じ高さの壁がありましたが、これは全く残っていません。この壁に3つの入り口があり、ここから役者が舞台に出入りしていたのです。
劇場は3世紀ごろまで断続的に修復されながら、3世紀の間も使用されていました。

4世紀には劇場の荒廃が進みその後の記録は残っていませんが、劇場の石は他の建築物に再利用され、7世紀には劇場入口のあたりに7世紀にはランゴバルド族の墓が作られました。

参照 「Fiesole Museo civico archeologico un secolo di bellezza」 edizioni Polistampa
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。