ウッフィツィとメディチと古代彫刻

フィレンツェ市
07 /02 2016
現在のウッフィツィ美術館は絵画作品で有名ですが、何世紀にもわたって人々は古代彫刻を鑑賞するためにこの美術館を訪れたものでした。それこそ18世紀の終わりまで「Galleria delle statue 彫刻ギャラリー」と呼ばれるほどだったのです。
uffizi statue
そのコレクションの歴史は、もちろんメディチ家に深く結びついています。

15世紀
◉ロレンツォ・デ・メディチ
最初の古代彫刻コレクションの中核を作り上げ、メディチ・リッカルディ宮殿に展示していました。
「オクタヴィアヌスの胸像」「アグリッパの胸像」「マルシュアス」

16世紀
◉コジモ1世
大きなブロンズ製のエトルリア彫刻を入手します。これらは現在考古学博物館にあります。
「アレッツォのミネルヴァ」「キメラ」「アッリンガトーレ」
またローマのアンティークメルカートから大理石作品を買い求めました。
1560年にはローマに旅をし、ピッティ宮殿を装飾するための作品を入手し、アンマンナーティに彫刻を設置するための部屋「sala delle Nicchie」を作らせます。
「カーニ・モロッシ」「イノシシ」「黒大理石の眠れるアモル」

◉フランチェスコ1世とフェルディナント1世
ローマのメディチ別荘、フィレンツェとその近郊の別荘を飾るための彫刻を購入します。そして工事が終わったばかりのウッフィツィにも古代彫刻を展示しました。大きなサイズの彫刻は東側の廊下に、小さなサイズのものはトリブーナに設置しました。
さらにローマ帝国の胸像、古代ギリシャ作品のローマ帝国時代コピー(作者不詳)など、コレクションが増えます。
「メディチのヴィーナス」「Scita」「ニオべの群像」「Ara Pacisのための浮き彫り」

古代彫刻は偶然に任せて購入されたのではなく、その裏にはイデオロギーとメディチ賞賛の意味合いがありました。
例えばジュリオ・チェーザレから始まる最初12人のローマ皇帝の胸像シリーズはこのコレクションに欠かせないものでした。15〜16世紀にはスエトニウス(ローマ帝国五賢帝時代の歴史家、政治家)が書いた「皇帝伝」が賞賛を集めていたのです。

また古代彫刻の横に当時の彫刻を並べ、古代の作品の前でも見劣りしないことを示したりもしました。
メディチのヴィーナスの横にミケランジェロのバッカスや、サンソヴィーノのバッカス、バンディネッリのラオコーンを並べるといった具合です。

そして古代彫刻の欠けていた部分の補填も行いました。胴体部分しか見つからなかった作品に頭や手足を付けるという修復です。この作業によって作品のテーマ自体が大きく変更されることもありました。これは当時の彫刻のレベルの高さを誇示する意味合いもあったのです。補填が終わると、大理石の表面は研がれて磨かれたため、彫刻のオリジナルの表層が失われてしまったのです。

17世紀
◉フェルディナント2世
購入の数は多くありませんが「眠るヘルマプロディートス 」「アンティノー」「トライヤヌス帝」「ルキウス・ウェルス帝」
◉コジモ3世
「アモルとプシュケ」を購入、ローマやその他の別荘の古代彫刻コレクションの中でも美しく珍しい作品をウッフィツィに集めました。現在トリブーナにある古代彫刻はこの時にウッフィツィに仲間入りしたものです。

18世紀
メディチ滅亡の後、ロレーヌ時代にもコレクションは増え続け、またローマのメディチ別荘に残されていた作品も全てフィレンツェに移されました。

参照「Uffizi le sculture antiche」Giovanni di Pasquale, Fabrizio Paolucci Giunti ISBAN 88-09-01945-8
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。