フィレンツェのドゥカーレ宮殿

シニョーリア広場地区
08 /27 2016
ヴェッキオ宮殿のサトゥルヌスのテラスに、2016年5月23日〜9月25日の期間、緑の空間ができています。
verde in palazzo1
「un giardino in palazzo(邸宅の中の庭)」と名付けられたこの展示に関してお伝えしていきます。

ヴェッキオ宮殿という名前はメディチ家がピッティ宮殿に住居を移してから付いた名前で、メディチ家がこの宮殿に住んでいた頃には「ドゥカーレ(公爵の)宮殿」と言われてました。またそれ以前にはプリオーリ(行政高官の)宮殿と呼ばれていました。

コジモ1世がラルガ通り(現カヴール通り)からフィレンツェ共和国の政府の建物に引越しをしたのは1540年5月のことでした。最初のフィレンツェ大公であったアレッサンドロの後を継いで3年目、若きコジモはモンテムルロの戦いで共和国派に勝利し、すでに政治の地盤を固めていました。

さらに1年前にはトレドのペドロ・アルヴァレツの娘であるエレオノーラと婚姻も結んでいましたが、これは神聖ローマ皇帝カール5世の意図に沿ったものでした。厳格なスペインのキリスト教世界と華やかなナポリ宮廷で育ったエレオノーラはフィレンツェ大公国の歴史、メディチ宮廷生活のスタイルに大きな影響を与えることになります。また彼女は1562年に病気で亡くなるまで、子地元の間に11人の子供をもうけます。

宮廷のプリオーリ宮殿への引越しは、この宮殿の大幅な改築の必要性を生み出します。
工事は1540年以前から着手され、エレオノーラの区画の建築が整備された後、レオーニ通りの方に10年にわたって拡張工事が行われました。大階段の建設、サーラ・グランデの天井を高くして装飾する工事などがバッティスタ・デル・タッソに続いてジョルジョ・ヴァザーリの指揮のもとに進んでいきます。

シニョーリアの時代には、この宮殿では「外気を吸うために散歩できる」空間はロンダの回廊しかありませんでしたが、16世紀の改築によって多くのロッジャやオープンスペースが建設されていきます。
これらは大公妃や貴族の女性が余暇を楽しむ空間でした。フランチェスコ・バッキアッカによって装飾された最初のテラスの一つは「エレオノーラのテラス」と呼ばれ、大公妃と友人のプライベート空間でしたが、現在は立ち入りができず、ロンダの回廊から覗くことができるだけになっています。他のテラスはドガーナの中庭に面した、エレオノーラの礼拝堂の近くにありましたが、彼女の死後数年を経てから作られたものです。その後の改築で、消えてしまいました。

「ユノーのテラス」は噴水とローマから運ばれてきた古代彫刻を設置するように設計されました。
このテラスは未完のままとなり、屋根が建設され屋内の空間となります。ここには現在、ヴェロッキオの「イルカを持つ少年の像」が設置されています。

以前と姿を変えないテラスで、見学可能なのは「4つの元素の部屋」から通じている場所です。バッティスタ・デル・タッソによって建築され、ヴァザーリとストラダーノによって装飾されました。
サトゥルヌスに捧げられた空間ですが、同名の神を扱った天井画は1690年の火事によって被害を受けました。

このテラスに昔を偲ぶ菜園を再現したのが今回の展示なのです。
次回「宮殿の菜園」に続きます。

参照 Un giardino in palazzo Gli orti pensili della Reggia mediceo MUS.E 特別展示パンフレット
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。