メディチ家の緑の空間

シニョーリア広場地区
08 /31 2016
ヴェッキオ宮殿のサトゥルヌスのテラスに、2016年5月23日〜9月25日の期間、緑の空間ができています。
「un giardino in palazzo(邸宅の中の庭)」と名付けられたこの展示に関してお伝えする第5弾、最終回です。

メディチ家はフィレンツェの町中、そして郊外に多くの庭園を築きました。
数年前から「メディチ家の別荘とイタリア式庭園」が世界遺産の仲間入りをしています。
今日はメディチ家関連の緑の空間の数例を見てみましょう。

科学と医学への興味に動かされ、コジモ1世は植物学の邁進に力を注ぎました。
珍しい種を栽培させたり、アメリカから新発見の植物を運ばせたり、植物学の研究に力を入れたヨーロッパの最初の君主だったのです。

ボーボリ庭園
コジモ1世とエレオノーラの希望によって造られたこの庭園はヨーロッパの中でイタリア式庭園のプロトタイプと考えられています。
イル・トリボロに始まり、ヴァザーリ、アンマンナーティ、ブオンタレンティなど大公宮廷直属の芸術家たちが手がけて造園していきました。
街路樹の道、噴水、彫刻、水の仕掛けで満たされた広大な面積の庭が「遊戯の空間」となっています。
中でも「植物学の菜園」は、コジモの希望により薬草を育てた庭です。世界中の薬草が集められていました。19世紀には2つの温室も設けられ、片方はトロピカルな地方の植物が、片方には寒冷地方の植物が栽培されています。また1720年のセイヨウイチイや、1805年のコルクガシなど、世紀を経てきた樹木もあります。

サンマルコ庭園
老コジモによって購入され、ロレンツォ豪華王によって拡張されました。野外の美術館のような様相をしていた空間です。古代の彫刻が並べられ、若き芸術家たちが古代の作例に学んでいました。その監督官がベルトルト・ディ・ジョヴァンニというドナテッロの弟子でした。残念ながらこの空間は現在は残ってません。しかし古代文化を愛し、芸術振興に勤しんだメディチ家の最も有名な空間であったことには違いがありません。

カッシーネの公園
現在の公園は世紀を経て、多くの改築が行われてきた姿です。特に19世紀の改築が決定的なものでした。この時代に公園は上流階級限定ではなく、一般庶民に公開されることになったのです。
こうしてカッシーネの公園はフィレンツェ人の散策の場所となりました。
この空間の始まりはメディチ家の歴史につながっています。フィレンツェ大公のアレッサンドロが農場用に購入し、コジモ1世が拡張しました。当時は牛を飼ってチーズを生産し、また狩場としても使っていました。

カステッロの別荘
15世紀にメディチ家によって購入されました。この別荘は特に若きコジモ1世によって愛され、ここに大きな庭園を造成したのです。イル・トリボロによって設計され、現在も見学可能です。同芸術家はボーボリ庭園も造成しています。ヴァザーリはこの庭園のことを「ヨーロッパで最も豊かで、最も素晴らしく、最も装飾された庭である」と書いています。柑橘類のコレクションが豊かで、次世代のボーボリ庭園のモデルとなりました。
villa del castello

ペトライアの別荘
1544年にコジモ1世が、息子のフェルディナンドに贈るために購入しました。
その後、この領地を大きく開拓したのです。
それまでこの土地はpietoso e inospitale(哀れで快適ではない)土地とされ、ここからla Petraiaと云う名前がきているそうです。そのような土地を緑豊かなテラス型の庭園に改造しました。
別荘の横にはサンタマリアノヴェッラ薬局によって造成された庭に入る鉄柵の門があります。これは同修道院が市内に所有していたHortus conclususを真似たものでした。Hortus conclususとは中世の庭の典型で、修道院に作られたものです。壁に囲まれ、小さい面積の緑の空間で、修道僧たちは食用と薬用の植物を栽培していました。


絵画に表現されているHortus conclusus
庭

参照 Un giardino in palazzo Gli orti pensili della Reggia mediceo MUS.E 特別展示パンフレット
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。