ミケランジェロはポデスタの館で生まれた

アレッツォ県
09 /19 2016
ミケランジェロの生地カプレーゼ村を紹介する第2弾です。

古い城を守る城壁をくぐると…ミケランジェロの生家が!
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当時、フィレンツェ共和国の支配下に入っていたカプレーゼ村には、フィレンツェから送られるポデスタ(執政長官)が治める形をとっていました。
ミケランジェロの父親ルドヴィコ・ブオナローティはフィレンツェ共和国から遣わされたキウーズィとカプレーゼ地方の執政長官で、6ヶ月おきに任務地が変わっていました。ルドヴィコがカプレーゼで任務に就いている間に生まれたがミケランジェロだったのです。

1475年3月6日、ポデスタの館にてミケランジェロは生を受けます。5人兄弟の次男でした。
生家はポデスタが任期の間に住んでいた場所で、14世紀の建築です。外壁にはポデスタたちの家紋が残っています。

生家の入り口
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ブオナローティ家はフィレンツェの貴族・政治家の家系で、ミケランジェロの先祖には芸術家はいませんでした。労働者であり職人であった芸術家は、身分の低い職業だと考えられていたのです。
しかしミケランジェロの父親は貧しく、フィレンツェの公的な役職でも端役しか与えられていませんでした。

ミケランジェロが生まれた月の末には家族はフィレンツェに帰ります。ミケランジェロはフィレンツェ近郊のセッティニャーノにて乳母にあずけられました。セッティニャーノはフィレンツェの建築に使われるピエトラ・セレーナを切り出している石工の町で、乳母も石工の妻だったのです。そのためミケランジェロは「大理石の粉が混ざった母乳で育った」(だから彫刻家になった)と言われます。

(生家の一階)
ミケランジェロの作品の石膏モデルが置かれています。
もともとはポデスタが客を迎え入れる謁見の間として使われていました。
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ダヴィデ像の頭部
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こちらはミケランジェロの有名な胸像。ダニエレ・ダ・ヴォルテッラの作品です。
フィレンツェの「アカデミア美術館」や「カーザ・ブオナローティ」にも同じ胸像が設置されています。
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(生家2階)
ボデスタと家族が生活していた空間。古い家具などが置かれ、奥には小さな礼拝堂もあります。
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2階のテラスから見える城塞の跡。中世8世紀頃から城塞が存在していたと考えられています。
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次回は城塞の中の美術館をご紹介します。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。