アンギアーリの戦い 2

アレッツォ県
09 /23 2016
レオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェ共和国政府からの依頼で、ヴェッキオ宮殿の500人広間に描こうとした「アンギアーリの戦い」は激しい戦闘図でした。

その戦いの歴史的舞台であったアンギアーリをご紹介する第2弾です。

1440年 アンギアーリとサンセポルクロの間で行われた戦いに参戦したのは
ミラノ公国軍 1100人
フィレンツェ・ヴェネツィア・教皇領連合軍 9000人

ミラノ軍にはサンセポルクロから2000人が加わり、合計3100人の軍となります。

戦闘開始は6月28日。ミラノ進軍による粉塵を見て、アンギアーリでは警戒態勢に入ります。

アンギアーリからサンセポルクロの方角を見下ろす坂。奥にサンセポルクロの町が見えます。
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ヴェネツィアの騎士たちが、連合軍がいる平野につながる運河の橋で、ミラノ軍の先発隊を止めます。
その間に連合軍は戦いの体制を整えます。しかしミラノ軍にピッチニーノ隊長の援軍が追いつき、連合軍はアンギアーリの方向に後退をします。

アンギアーリの美術館の中にあるジオラマ。
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その後、ミラノ軍の右側面に教皇軍が攻撃をかけ、ミラノ軍は橋まで後退。

ジオラマには橋近くの戦死者の様子まで再現されています。
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ヴィスコンティに雇われたジェノヴァの傭兵が応戦するも、連合軍の勢いは止まりません。4時間にわたる戦闘はミラノ軍の3分の1が分断され、夜中に連合軍の勝利にて決着がつきました。戦死者は900人ほどだったと推定されています。

この戦いの様子をマキャベリが執筆し、レオナルドが壁画で残そうとしたのです。

現代のアーチストがレオナルドの作品にインスピレーションを受けて描いた作品がこちら。
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次回は中世の面影が残るアンギアーリの町の様子をご紹介します。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。