新しいノヴェッラ教会付属美術館〜法王の居住区〜

S.マリアノヴェッラ地区
11 /11 2016
今まで憲兵の士官学校として使われてきたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の一部が、教会付属美術館に編入されることになりました。教会+美術館の面積はこれまでの倍近くになります。
2016年12月から一般見学可能となる空間についてまとめてる第3弾です。今回は「法王の居住区」です。

礼拝堂のポントルモ作「ヴェロニカ」
ヴェロニカ
法王がフィレンツェを訪問する時にサンタ・マリア・ノヴェッラのドメニコ修道院の中に泊まる場所が定められていました。それは現在はノヴェッラ駅広場に面している区画の2階にありました。当時は菜園と西側のスカーラ通り、北側では「大きな回廊」に接する空間でした。

1418〜1420年
フィレンツェ共和国の意向により、ロレンツォ・ギベルティ監督で建設され、豊かに装飾されます。「フィレンツェのラテラーノ」と呼ばれていました。ラテラーノは1378年にヴァチカンに移るまで教皇の宮殿があったローマの地区の名前です。

1419年
マルティーノ5世の訪問時にフィレンツェ共和国の負担で最初の内部装飾がされます。

その後、著名人の滞在がなされるごとに、さらなる拡充が行われていきました。「大きな回廊」に面した西面全てを占める空間に成長し、大ホール・謁見の間・その前室・法王の私室・従者用の部屋・台所などがあったと考えられます。

1439年
フェッラーラから開催場所を移して、フィレンツェで公会議が行われます。エウジェニオ4世をはじめとした代表者たちがフィレンツェに集結しました。開催中にコンスタンディヌーポリ総主教が亡くなり、修道院に埋葬されました。

それ以外にもメディチ家の法王、レオ10世やクレメンテ7世がフィレンツェ訪問時に利用しています。

16世紀末
法王の居住以外の目的で使用されるようになります。サン・ジュリアーノやサン・ニコロ同心会の集会の機会に大ホールの改築が行われました。

1755年
新しい女性用の修道院が開設されます。塀によって男性用の修道院から隔離されていました。

1801年
修道院廃止によって、一部はトスカーナ大公国に売却され、音楽学校に転用されます。マルテッリにより螺旋階段が取り付けられ、パンパローニ作の鉛製「フローラ」像が設置されます。

1920年
准尉学校として使用されるようになります。

内装などは次第にオリジナルの様子を失っていきますが、1990年代に「法王の礼拝堂」が修復されました。

次回はこの「法王の礼拝堂」についてまとめます。

※新しく見学できる空間は2016年12月15日開館予定です。

参照 Guida d'Italia, Firenze e provincia ("Guida Rossa"), Edizioni Touring Club Italiano, Milano 2007
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。