ボーボリ庭園

アルノ河南地区
02 /17 2017
フィレンツェの支配者であったメディチ家が住んでいたピッティ宮殿。
その中には多くの美術館が併設されています。日本人のグループではそのうちの一つ、パラティーナ美術館を訪れることがたまにあるぐらいです。そこでピッティ宮殿の中の美術館を一つずつ簡単に紹介していく第6弾です。
「パラティーナ美術館」
「モニュメンタル・アパートメント」
「近代美術ギャラリー」
「大公の宝物庫」
「ファッションと衣装の博物館」

に続き、今日は「ボーボリ庭園」をご紹介します。

ボーボリ庭園はフィレンツェの町の歴史的な庭です。もともとピッティ宮殿の大公の庭として生まれました。君主とその家族の安全のために建設されたベルヴェデーレの要塞とつながっています。
庭園は年間80万人もの入場者数があり、建築としても、素晴らしい景観が楽しめる観点からも、また古代ローマ〜20世紀の彫刻コレクションが置かれている点からも、世界でも最も重要な「イタリア式庭園」となっています。
イタリア半島で最も有名な庭園と言ってもいいでしょう。

造園は16〜19世紀にわたって行われてきました。最初はメディチ家の手によって、そしてロレーヌ家やサヴォイア家によってその事業は引き継がれてきたのです。
面積は45.000 m²、後期ルネッサンスの時代にピッティ宮殿の裏側に庭の最初の「軸」が作られます。軸を中心に左右対称のテラス式の庭が形成されました。
その後、南に伸びる「viottolone(viottola 田舎の小道から来た言葉)」と呼ばれる軸が形成され、庭が拡張されます。
ボーボリ庭園1
2つの中心となる軸に並行して、また垂直に交わるように小道が形成され、池や噴水、レモン温室、小神殿、人口洞窟をつないでいるのです。またトスカーナ州には珍しいロココ様式のカフェハウス(18世紀)もあります。
ボーボリ庭園2
ちなみにこの淡い緑はロレーヌ家のシンボルカラーとされていて、レモン温室の外壁にも使われていますし、ウッフィツィ美術館の改築された2〜3階の階段部分もこの色になっているんですね。この色を「ロレーヌの緑」と呼んでいます。

ボーボリ庭園にはピッティ宮殿のアンマンナーティの中庭、ロマーナ門広場、ロマーナ通りの3ヶ所から入場できます。
2013年から「ボーボリ庭園」「大公の宝物殿」「陶磁器博物館」「バルディーニ庭園」とセット料金となっています。

(年表)
1341年 Cione di Bonaccorso Pittiがアルノ川南岸の土地を購入(ボーボリの名前はこの辺りに土地を所有していたBorgolo家から来ているのではないかと考えられます)

1418年 さらにLuca Pitti が土地を購入して宮殿を建設させます。
 
1549年 メディチ家に所有が移ります。庭も含めて宮殿の改築、造成が始まります。庭を担当したのはニッコロ・トリボロ(すでにトリボロはメディチ家のために別荘カステッロの庭を手がけていました)

1609〜1621年 コジモ2世の時代に庭園は拡張されます。ジュリオ・パリージと息子のアルフォンソによって約3倍の面積を持つ庭になります。こうしてViottoloneを軸にして、ロマーナ門まで伸びる庭となったのです。

18世紀 ピエトロ・レオポルド公の時代に、制限はあったものの、庭は一般庶民に開かれます。

2013年 「メディチ家別荘とイタリア式庭園」としてユネスコの世界遺産に。

庭園は丘の斜面にあり、東西の軸も、南北に伸びる軸も坂となっています。こうしてフィレンツェの街や、田園風景のパノラマも楽しむことができるのです。

小鳥が水を飲めるように造られたモスタッチーニの泉など多くの噴水がありますが、水の供給には地下水道が使われています。また17世紀に始まり現在まで続く椿のコレクションもあります。

ダヴィンチコードの続編の「インフェルノ」でも主人公がこの庭の中を逃げ回るシーンがありますね。原作と違って映画では大分割愛されていたのが惜しいです。
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伊藤裕紀子

イタリアのフィレンツェ在住24年目。フィレンツェ県とピサ県の公認ライセンスガイド。何年たっても知り尽くせないイタリアの魅力を追求中。個人旅行のガイド、通訳の依頼も請けております。